第三章 アリス、プリン畑に行く
あっと言うまにカップは雲をつきぬけ、成層圏に出てしまいました。アリスはフタのすきまから外をちらっと見てみました。「あらっ、何か黒いものが通りすぎて上へ行ったわ」
「あれは、われわれの乗っている優勝カップの影ですな」と、アリスのうしろから肩ごしにのぞいていた白ウサギが言いました。
「でも、私たちを追い越したわよ」
「あれはですな、つまり影を束縛するこのカップの力よりも大きなエネルギーが爆発によって与えられたために、重力の加速度によって減速しつつあるわれわれを、影が追い越してしまったのですよ。影には質量がありませんから、重力の影響は受けませんのです」
「むずかしいのネ」とアリスは鼻にしわを寄せました。
「あらあら、どうやら落ち始めたようよ。どうにかしてよ。このままでは地面にぶつかってメチャメチャになってしまうわ。この優勝カップのなかにはパラシュートは備えつけてないの。不用意ねえ。今後、絶対に優勝カップのなかにはパラシュートを備えつけるべきだと思うわ。これは、その試合を主催する側の義務として定めておくべきよ」
アリスはいっきにこう言ってから、あまりえらそうなことを言ったのでちょっと恥ずかしくなりました。その間にも三人の乗ったカップはどんどん落ちていきます。
野ネズミがあわてて言いました。「大変だ。このなかにある重いものを全部放り出しちまおう。そうだ、それがいい!」
「あなたねえ、落下の速度は物体の質量とは無関係なんですよ。気球や潜水艦とは違うんですから」と白ウサギがあきれて止める間もあらばこそ、野ネズミはせまい優勝カップのなかから、自分の目覚まし時計や、白ウサギの計算機を放り出しはじめました。
「やめなさい、あなた」と言う白ウサギの言葉も耳に入らず、夢中でいろんなものを投げ出しました。どうやってポケットに入れてあったのか、体力トレーニングに使う鉄アレイとか、オックスフォード英語辞典縮刷版まで引っぱり出して放りなげました。
そのとき突然、何やら白い柔らかいものがカップのなかに飛び込んできました。
「キャア! きもちわるい」とアリスの悲鳴。
「これは、千載一遇の奇跡。天の助け」と、それをつかまえた白ウサギが言いました。
「何なのこれ?」
「学名、デウスエクス・マキヌス。通称パペピという空中にすむ珍しい生き物です。力学的エネルギーを食って生きているのです。まあ見ていなさい」というと、白ウサギは、ぐにゃぐにゃしたその生き物をカップの内壁にぴたっとくっつけました。すると、カップの落下がだんだんおそくなり始めました。
「どうしたの?」とけげんそうなアリス。
「こいつが、落下のエネルギーを吸収しているのですよ。これでわれわれは助かった」
しばらくすると、優勝カップは静かに地上に着陸しました。パペピはこれ以上エネルギーにありつけないと知ると、ヒューッとカップから飛び出して空の彼方に消えてしまいました。
カップからはい出したアリスと野ネズミと白ウサギはあたりを見回しました。
「ここはどこかしら」(⇒アナザー・ストーリー「アリス、フリーランドを行く」へ)
見わたすかぎり木がはえており、木々には枝もたわわに黄色い実がなっています。
「どうやら果樹園のようですな。しかし、こんな実には今までお目にかかったことがないが……」そう言いながら野ネズミが、近くの実に手を伸ばしたとたん、うしろからポカリッ! 野ネズミは目をまわしてバタンと倒れてしまいました。
アリスはびっくりぎょうてんして振りむきました。そこには、紺色のツナギの作業服を着たクマが立っていました。クマは右手にコン棒を持ち、左手を腰にあてて、こわい顔でアリスと白ウサギをにらみつけました。
「こら、泥棒め。無断で人の物を取ってはいけないと、学校で習わなかったのか。泥棒は嘘つきの始まりだぞ」
アリスはちぢこまって小声で言いました。「ごめんなさい。あまり珍しい実だったものですから……」
「なに? 珍しい? こんな物を見たことがないのか。近ごろの学校では何を教えているんだ。カシオさんのお世話にばかりなっていて、ろくに掛け算や割り算もできないんじゃないのか。6×3はいくつだ」とクマはアリスにききました。
「18に決まっているじゃない」と、アリスはいかにもバカにされて腹が立つといった顔で答えました。
「本当か?」紺のツナギを着たクマは、そう言うと、お尻のポケットから小型の電卓を取り出し、太い指でボタンを押して計算をしました。
「なるほど、合っているようだな。しかし、この果樹園になっている実が何であるかを知らないのは勉強不足だ。学校の先生になりかわって、俺が教えてやろう」
クマは手を伸ばして、その夏ミカンを縦に引き伸ばしたような実を一つもぎとり、皮を半分くらいむいて、アリスと白ウサギの目の前につき出しました。
「これはプリンの実だ。よく覚えておけ」と自慢そうに言いました。「黄色い果肉の上がカルメラ色になっているだろう。ここを薄く残して切りおとし、全体の形を円錐台に切りそろえると、市販されているプリンになるわけだ」
アリスはあっけにとられたような顔をしました。「ふうん。ちっとも知らなかった。それで、切りおとしたカスはどうするの。捨てちゃうのはもったいないわ」
「型に入れて固め、カスタード・プリンにするに決まっているじゃないか」
いかにも軽蔑したようなクマの表情を見たアリスは、あまりにも幼稚な質問をしてしまったらしいわと思い、顔を赤らめました。もう少し専門的な質問をしなくてはと考え、こうたずねました。
「それで、プリンの木にはどのような肥料を与えるんですの?」
「牛乳、シロップ、それから――」とクマが言いかけたとき、足元をメンドリがチョコチョコッとかけぬけ、プリンの木の根元に卵を生みおとしました。そして、アリスの見ている前で、メンドリはその卵を踏みつけて割ってしまいました。クマはアリスの方を見て言葉を続けました。
「あれさ。よく訓練してあるだろう。おかげで、わざわざ俺たちが卵を割って、中味を根元にやる手間が、はぶけるってえもんだ」
そのとき、そばで聞いていた白ウサギが周囲を見わたしてからクマにききました。
「ところで、この果樹園では二種類の木を栽培しているようですが、あの二つはどう違うんですかな?」
「イチョウと同じで、プリンの木にはオスとメスがあるのさ。幹の太いほうがメス。ヒョロヒョロしているほうがオスだ。メスの木から採れるのがママプリンで、オスの木から採れるのがチャップリンさ。熟しすぎたチャップリンは、食べるとからだに有毒だ。だから収穫のタイミングがむずかしい」
「有害といいますと、下痢でもおこすんですかな」と白ウサギ。
「いや、笑いが止まらなくなるんだ。しかし、ママプリンのほうは熟しても食用に供することができる。むしろ、熟したほうがうまいという通もいる。おもしろいことに、熟したママプリンは別の名前で市販されている――ババロアという名でな」
そこまで説明を聞いたとき、足元でのネズミがうめき声をあげ、たたかれた頭をなでながら目をひらきました。
「あら、クマさんの講義に夢中で、野ネズミさんのことすっかり忘れてたわ。だいじょうぶ、野ネズミさん?」そう言いながら、アリスは白ウサギの手を借りて、野ネズミを抱き起こしました。
「だいじょうぶも何も、いきなりポカリッですからね。今後、ミカン狩りなどにさそわれても、二度と行きたくない気分ですな。昼間だっていうのに、目のまわりをまだ星がクルクル回っていますよ。星といっしょにUFOも回っている。ベントラ、ベントラ……」
ぶつぶつ言っている野ネズミを無視して、クマは強い語調で言いました。
「プリンの木の講義はこれで終わりだ。ここは私有地なんだから、早いとこ出ていってもらいたいな。さもないと、腐ったプリンをぶつけてやるぞ。一人当り五個ぶつけてやるとして、三人だから……」クマは一度しまったポケット電卓をまた取り出して、計算をはじめました。
その間に、三人は顔を見合わせると、いっせいに駆け出しました。木々のあいだを走り抜けて一目散に逃げ、クマの姿が見えなくなったところでようやく足を止めました。息をきらせながら野ネズミが言いました。
「いやあ、びっくりした。あまり速く走ったもので、目のまわりを回っていたUFOがどこかへ行っちまった。せっかく宇宙人の姿がおがめると思ったのに……。ところで、果樹園をぬけたら、だいぶ土地が荒れてきましたな。お嬢さん、足元に気をつけなさいよ」
アリスも息をきらせながら苦しそうに言いました。
「あら、気を配っていただいて、どうもありがとう。本当に、雑草は生えほうだいだし、岩はごろごろしているし、ひどいところねえ。よく言えば〈いまだ破壊されていない自然〉といったところだけれど、そんなこと言ったら、かえって自然が赤面してしまうんじゃないかしら」
そのとき突然、野ネズミが前方の岩の上で光っているものを指さして叫びました。
「あれはさきほど放り出した私の目覚まし時計! おじいさんの形見だから、こわれていなければいいが――」そう言って駆け出しました。
アリスと白ウサギはそのあとを追いました。と、そのとき、小さな岩を飛び越したアリスの前にポッカリと穴があいており、アリスはそのまま穴のなかへ落ちてしまいました。
(『第四章 アリス、廊下を歩く』に続く)