(1)
<アルゴスのアルクェル>
 トゥルタル城の攻防
   TURUTAL

レイ・カペラ   
さとう@Babelkund訳

 夜風が暗黒の密林の上を吹きわたっていた。風は驟雨のように梢の海を打って、遠ざかりながらサラサラという微かな音になり、それからまた吹きはじめるのだった。空は一面の雲でおおわれていた。切り開かれた土地におびただしい数の松明がゆらめき、まるで無数の蛍が周囲の闇を押しもどそうとしているかのように、弱々しい光を投げかけていた。
 その光が、きらめく柵のように林立する大槍と、円陣の中に群れなして立つ黒人戦士たちを照らし出していた。羽毛の頭飾りが微風に揺れ動き、骨と略奪した黄金で作られた首飾りや腕輪が、漆黒の四肢の黒い光沢に映えている。
 プントのアンガン族の将軍イロンゴは、円陣の中に据えた屋根のない椅子駕籠に座っていた。松明のきらめきの中で彼の姿は巨人のようにそびえていた。身の丈が七フィート近くある。真の戦士の頭飾りが彼の頭に冠されていた。彼が殺した獅子の頭部で、その上に駝鳥の羽毛が三枚付けられている。このほかは、部下と同じようにほとんど身にまとっておらず、腰に獅子皮を巻いているだけだ。彼が座っている椅子は頭蓋骨で作られていた。その不気味な戦勝記念品は、豹皮の敷物の下から虚ろな眼窩でにらみつけていた。片ひざに肘をつき力強い拳にがっしりした顎をのせて、イロンゴは革服をまとった白人の一団をにらんだ。彼らはたがいに縛りつけられて地面に横たわっていた。それから彼の視線は自分の足元にある木製の大鉢と、彼の前にしゃがんだ黒い僧頭巾の男とに移った。その一団は彼の部下が四人の命を犠牲にして捕らえたものだ。ひとりの男のほうは、荒野や戦士たちを恐れる気配もなく闇の中から歩み出てきて、挨拶のそぶりもせず彼の足元に座りこんだのだ。
「部下たちは落ち着きをなくしている」とイロンゴが間をおいてから言った。「おまえたちの民に味方して戦うために、われわれは南部砂漠の縁まで旅してきた。いまや略奪者アルムリックのむくろはジャッカルがきれいに片付けてしまい、やつの部下どもは槍に刺し貫かれてあの地から海岸までの間の大地に点々と横たわっている。クシュから来たわが同胞たちとステイジアのわが同盟者たちは国に帰ったにもかかわらず、まだわが国の王侯たちは、帰路から外れた丸一日の行軍をわしにお命じになった。たかが落武者を捕らえ、この会談をもつために。戦いが終わったからには、ステイジアとの協定がこれ以上の交渉事を求めておるとは、わしには思えなかった」
 ステイジア人は何も言わず、ふたりの間にある水の大鉢の上に身をかがめた。イロンゴは険しい顔で、和平の目標がその反対の象徴である血で充分満たされていることを願っていた。目の前にいる不気味な人物と付き合うより、退屈であろうとも垣をめぐらしたプントの村落で暮らしているほうが、彼にはよかった。彼の種族は密林と同じように荒々しく自然のままであり、戦士たちはステイジアの民が踏みならした暗い道を恐れていた。
「敵の軍勢はすべて死んではおらん。わかっていると思うが」ステイジア人の声は枯葉のこすれあう音のようだった。彼は僧頭巾をうしろに落とし、剃髪した浅黒い頭を見せた。繊細な彫りの容貌は鳥を思わせる。悪寒がイロンゴの背筋を走った。訪問者の灰色の眼球には瞳孔が、目と言えるものがなかったのだ。それでも彼のしわのない顔は、見ることができる者のように動いた。
「敗走した者たちなど取るに足りないように見えるかもしれない」ステイジア人は続けた。「しかし、やつらの中に見逃してはならない者がいる。こやつらは、忘れられた場所に迂闊にも入り込み、古代の掟を無視したのだ。見よ」
 細い手を広い袖口から突き出して、ステイジア人は目の前の水面を爪のない指先で突いた。水は大鉢の中で渦巻いた。
 イロンゴはのぞき込み、水が川の流れのように激しく泡立つのを見た。大鉢の縁は峡谷となり、中にはほんとうの川があった。何か輝くものが水面で揺れ動いていた。……

 曲がりくねった峡谷を突き進む大型の手漕ぎ舟は、轟く流れの中で急に向きをそらせ、湾曲した船首と船尾を岩でこすりそうになった。船体を深紅色に塗り、金色の目をした爬虫類の頭を船首に刻んだ舟は、巨大な蛇か、峡谷の激流に棲む何か恐ろしい生き物と見まちがえられるかもしれなかった。
 十人の男たちは浅い船腹の中で踏んばっていたが、櫂を失っていてはほとんどどうすることもできなかった。十一人目の、がっしりした胸の赤鬚の男だけが長い棹を持っていた。男は湾曲した船首に体を結びつけて立ち、幸運が味方してくれなかったとき河岸に激突しないように力を尽くしていた。
 十二番目の男は、曲線を描いた船尾にしっかり結びつけられており、安定させる重りとして以外役に立たなかった。男は気を失っていたのだ。彼はほかの男たちとは違っていた。革服で鉄兜の男たちはがっしりしてずんぐりした体型の種族だったが、彼のほうは、身につけているのが袖なしの黄色いチュニックだけで、男たちより背が高くしなやかな体つきに見えた。彼が意識をとりもどしてゆっくり身じろぎし出したころ、舟は混沌から脱して、突然おだやかな流れに入った。
 束の間、彼らは破滅の瀬戸際にいた。舟は崖の表面の暗い開口部になだれ込む急流に乗っていたが、その穴は高い船尾楼には低すぎたのだ。しかし、赤鬚が棹で力強く突いた。背の筋肉が革の胴着の下で張り詰める。舟は右に逸れた。そこで崖の両側が広がり大きな擂り鉢状の潟湖になっていた。舟は勢いを失い、切り立った高い河岸から充分離れたところを漂っていた。岸からは濁った水面をわたってさざ波が打ち寄せてくる。
 赤鬚は自分を支えている数本の綱に体をあずけてぐったりしていた。彼は背後の男が受け取れるように棹を振って渡した。しばらく休んだあと、彼は片側に寄って舟を危険なほど傾け、大声をあげた。「だれか綱を切ってくれないのか? おれたちみんなが溺れちまわないうちにな。そうなるのも結構なことだろうぜ! こんなところまでおれが気をもんできたというのに」
「おれたちの苦難をすべてあんたが背負ってきたわけじゃない」彼のすぐうしろにいた男が文句を言った。短躯で太っており、子供の声をしたその男は、ぎくしゃくと立ち上がり、脚を広げて舟の傾きを直した。彼は片手で丸い尻をさすり、もう一方の手で自分が敷

 (2)
いていた外套をどかして、さまざまな武器を見えるようにした。石弓をわきへやると、短い剣を取り上げた。それから考え直して、矢筒いっぱいの矢を束ね、広刃の短刀を見つけ出した。
 指揮官が綱を切って自由にしてもらっている間に、ほかの者たちは身じろぎしてどうにか体を動かしはじめた。彼らも腕を体の下で押さえつけていたのだ。二度も男たちの動きが舟をひっくり返しそうになり、みなが動きを止めるまで赤鬚は彼らを怒鳴りまくった。
「おれの棹を」彼は野太い声で言い、手をのばした。棹さして舟を進めるつもりで彼は座っていたが、水に入れた棹は腕が肩の深さまで水に浸かっても、手応えがなかった。彼は毒づくと、座席の上で向きをかえて、棹を次の男に渡した。それが舟の長さだけ続けられて、全員が確信したのは、彼らの近くにはどこにも川底がなく、潟湖の真ん中で罠に落ちたということだった。
「おれたち、前よりちっとも好転してないぜ」太った男が愚痴った。
「どうでもいい」指揮官が言った。「少し休んだら、だれか泳げる者が問題を解決できる」
「どこに泳いで行くんで?」別のひとりがたずねた。「川岸にたどり着いたって、どこも急すぎて登れっこない。見てごらんなさい。綱を結んだ矢を打ち込む割れ目すらない。ほかにこの潟から抜け出る道はありませんぜ!」
「いや、出口はある」これが、船尾につながれていた男が発した最初の言葉だった。ほかの者たちは彼の視線を追った。その先には、擂り鉢の円周を断ち切る影があった。沈む夕日のきらめきではっきり見定めることはできなかったが、その地点に流出口があるように見えた。
「またぞろ、別の早瀬か?」太った男がたずねた。彼は短刀を手にした。「そのうちおまえは、おれたち全員を殺しちまうだろうぜ。裏切っておれたちの主人を殺したようにな。さあ、おれたち残された最後の――」
「おれは殺してない!」船尾の男はきっぱりと言った。彼は捕獲網にかかった豹のように、自分をつないでいる綱をぴんと引っ張り、浅黒い顔に光る緑の目で太った男をにらんだ。「おまえたちのおそれ多きアルムリック殿は愚か者だ。もしおれをずっと囚われの身にしておくつもりだったら、おれが殺したかもしれない。だが、その機会はやってこなかった。やつがおれたちを今度の長期戦に巻き込んじまったからな!」
「彼が愚か者だと?」別の男がうわずった声で言い、仲間たちを見た。捕虜の一番近くにいる男がゆっくり向き直って彼のほうに顔を向けた。
「ああ、愚か者だ!」捕虜は意に介さず続けた。「王に対する二度目の反乱を率いるには、少なくとも一度目の企てで雇った兵の二倍は要るのに、そうしなかったのはいったい誰だ? そして失敗したら、こんな遙かな南の地までやってきたのは誰だ?
「アルムリックは初心を貫いて、負けたその日に死ぬべきだったんだ。コスの地でな。シェムやステイジアの人々が、亡命してきた裏切り者によって国境地帯が荒らされるのを、永久に放っておくと思ったのだろうか? どちらかの肩をもとうとは思わないが、彼の移動がみんなに何をもたらしてくれた? 死のほかは何もない――こんな故郷遠くで、おまえたちが略奪した者たちの手でもたらされる死だ!」
「勇ましい演説だ」顔に傷のある禿頭の男が言った。「暗い密林から出てきて道化師になり、宮廷でおれたちの人気者になった男にしてはな!」
「人気者だ、確かに」捕虜が口をはさんだ。「受けない芸をやらないよう、背中に剣を突きつけられる目に会うまではな! 金の鎖につながれた猿でいるより荒野のほうがましだ。だが、密林以上のものがあそこには……」
「もうたくさんだ!」赤鬚がどなり声で割って入った。「おまえたち、短刀を下ろせ。われわれは国王の弓兵隊だ。人殺しではないぞ! 忘れるな。やつだけがこの呪われた土地から抜け出す道案内ができるのだからな。それからおまえ、アルクェル、おまえはむだ口をたたく立場にないんだぞ。
「さて」彼は、仲間たちにほとんど考える間も与えずに続けた。「ひと泳ぎするのはだれの役だ?」
 問いかけに応えて半数の男が脱ぎはじめ、それがまた言い争いの種になった。ふたたびジェラズがどなって黙らせると、何人かに命綱にするための綱を用意させ、泳ぎにはふたりを指名した。
 選ばれたふたりの戦士は気負い立って、綱もつけずに水に飛び込んだ。ジェラズは鬚と同じほど顔を真っ赤にして、彼らに毒づき、いまにも自分で飛び込みそうなありさまだった。ふたりの男たちは浮かび上がってこなかった。
 残りの戦士たちは、なにか悪ふざけがあるのだろうと期待して笑ったが、ジェラズのほうは鬚の中でぶつくさ言った。彼はふたりが事前に何か企てているところを見たおぼえはなかった。彼らは待った。ふたりは浮上してこなかった。しばらくすると、笑いはとだえた。小さな血の渦が二つ三つ水面に現れた。ふたりは消えてしまった。
「おい、ジェラズ」太った男が短刀でアルクェルを指しながらキーキー声で言った。「やつを綱の先に結んで、水に漬けてみようぜ。いったい何が起きたのか、みつけてくれるかもしれねえ。下にいるのが何だろうと、釣り竿から下がった生き餌を見分けて、綱がついてりゃあ食いつかずに……」
 今度は、太ったホルガーを支持する者はいなかった。男たちは舟が転覆させられるのではないかと恐れていたのだ。赤鬚のジェラズは炎のような色の顎鬚をなで、自分の腕を水の中に入れたことを思い出して、思わず知らず身震いした。
「だめだ」彼は決断した。「いずれにせよ、おれたちはやつ以上のものを危険にさらすことになる。こいつの密林地帯の記憶がなければ、おれたちは迷子になることを忘れるな。それに、おれたちは崖に完全に取り囲まれている。その向こうには木々がある。それは確かだ。だが、矢に紐を結びつけて石弓で放つとしても、どんな腕があればそこまで届くんだ?」
 弓兵たちは少しずつ身を寄せ合い、水面を見つめた。もう、彼らのぼろ舟が動くたびにその場に凍りつく始末だった。陽は沈んだばかりで、まだ潟湖の水面は真珠色の輝きを帯びていた。依然として、水面下に見えるものは何もない――いったいだれが、ふたりの男を飲み込んだものの大きさを言い当てられよう?

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