(3)
 トゥールジャンがあきれて手をゆるめたので、女はすんでのところで腕をふりほどきそうになったが、彼はまた、しっかとつかまえた。
「教えてくれ。どこに行けばパンデルームに会える?」
 女はあらがうのをやめ、頭をひねってトゥールジャンをみつめた。「エンベリオン中、さがすがいいわ。ぜったい、あんたの手助けなんでしてやらないから」
 この女にもっと愛嬌があれば、さぞかし目をみはるような美人だろうに、とトゥールジャンは思った。
「どこに行けばパンデルームに会えるか、教えてくれ。さもないと、ほかにおまえの使い道をみつけるぞ」
 女は少しの間、おし黙った。眼は狂気に燃えている。それからよく通る声で言った。
「パンデルームはほんのちょっと行ったところにある小川のほとりに住んでいるよ」
 トゥールジヤンは女をはなし、かわりに彼女の剣と弓を手にした。
「これを返したら、おとなしくひきさがるかな?」
 女は少しの間、じっとみつめ、それから黙って馬に乗ると、樹々のあいだを抜けて去っていった。
 トゥールジャンは、彼女が宝石色の幹の間に消えてゆくのをじっと見守り、それから彼女が教えた方角へ歩き出した。ほどなく、暗色の樹々を背にした、赤い石造りの細長く低い牧師館風の建物の前に来た。彼が近づくと、扉がひらいた。トゥールジャンは足をとめた。
「はいれ!」と声が言った。「はいれ、ミール城のトゥールジャンよ!」
 トゥールジャンはいぶかしがりながらも、パンデルームの館に踏み入った。そこは綴れ織り張りの部屋だった。長いす一つをのぞいては何の家具調度もない。誰も挨拶に出てこなかった。反対側の壁にとじた扉がある。たぶんむこう側で待っているのだろうと思い、トゥールジャンは通り抜けようとして歩き出した。
「止まれ、トゥールジャン」と声が言った。「何びともパンデルームを見ることはかなわぬ。それが掟だ」
 トゥールジャンは部屋の中央に立ちつくし、目に見えぬこの()(あるじ)に話しかけた。
「用向きを申しあげます、パソデルーム殿。私はこのところしばらく、合成桶で人間を作ろうと努力してまいりました。しかし、いつも失敗に終わっています。数々のパターンを結合し配列する働きをもつものが何であるかわからないからなのです。この統御基質を、あなたはご存じのはずです。それゆえ、教えを請うためにここへ参ったのです」
「喜んでお助けしよう」とパンデルーム。「しかしながら、もう一つこみいった問題がある。宇宙は調和と均衡によって成り立ち、存在のいかなる局面においてもこの平衡関係は保たれておる。したがって、われわれの取り引きのようなささいな出来事においても、この等価性は守られなければならん。かようなわけだ。確かにおまえを助けてやろう。その代わり、私のために同等の奉仕をするのだ。このつまらぬ仕事をすませた暁には、心ゆくまで教示指導してさしあげよう」
「その奉仕というのは何でしょうか?」
「アスコレースの地の、おまえのミール城からほど遠からぬところに、一人の男がおる。そやつの首に、青い石で刻まれた護符がかかっている。それを奪って持ってくるのがおまえの仕事だ」
 トゥールジャンは一瞬考えこんだ。
「結構。できるだけのことはしてみましょう。その男は誰です」
 パンデルームは優しい声で答えた。
「黄金侯カンダイヴ」
「おおっ」とトゥールジャンは悲嘆の声をあげた。「あなたは私の仕事をやりやすくしてやろうなどと、少しも骨をおってくださらないのですから……。でも最善をつくしてご要望にそうようにいたしましょう」
「よろしい」と、パンデルーム。「では、お教えしよう。カンダイヴはその護符を肌着の下に隠してつけている。敵が現われたときに、彼はそれを胸の上に取り出だして見せる。護符の力はそれほどなのだ。たとえほかにどんなことがあろうとも、その護符をみつめてはならぬ。手に入れる前であろうと、あとであろうとだ。それは見るも恐ろしい結果を招くことを心せよ」
「わかりました」と、トゥールジヤン。「お言葉通りにしましょう。ところで一つおたずねしたいことがあるのですが――ただし、答えの代償として月を地球のそばに引きもどすとか、あなたがうっかり海にこぼした霊薬のしずくを集めるとかいう仕事にかかわりあうのなら、やめておきますが……」
 パンデルームは声高に笑った。「続けなさい。お答えしよう」
「あなたのお住まいに近づいてきたとき、たけり狂った一人の女が私を殺そうとしました。これをはばむと、女は憤然として立ち去りました。あの女は誰で、なぜあのようにふるまうのです?」
 パンデルームの声はおもしろがっていた。「私もまた合成桶をもっており、そのなかでさまざまな形の生命をつくっている。その娘ツェイスも私がつくりあげたものだが、不注意にこしらえたもので、合成の段階で傷がはいってしまった。それであの娘は脳にひずみをもって、合成桶から這いあがってきた。かくのごとくにな。われわれが美しいと思うものが、あの娘の眼には忌わしく醜いものに映り、われわれには醜いと思われるものがあの娘には耐えられないほどひどいものとなるのだ。それも、私やおまえには理解できないほどにな。あの娘にとって、この世界はいたた

 (4)
まれない場所であり、人間は悪意の権化に見えるのだ」
「それであのような結果に――」と、トゥールジャンはつぶやいた。「かわいそうなやつだ!」
「さて」とパンデルーム。「ケーインヘ出発してもらおう。保護は万全だし……。すぐ扉をあけてなかにはいり、床の神秘文字の模様のところまで進むのだ」
 トゥールジャンは命ぜられた通りにした。次の間は円形の壁と高い丸天井の部屋だった。天窓を通して、エンベリオンの変転きわまりない光線がふりそそいでいる。床の模様の上に立っと、パンデルームはまた話しかけてきた。
「では、眼をとじてもらおう。はいっていって、おまえに触れなくてはならん。よく気をつけるのだ。決して私を見ようとしてはならないぞ!」
 トゥールジャンは眼をとじた。ほどなく背後で足音がした。「手をさしだしなさい」と声が言った。トゥールジャンはそうした。手のなかに堅い物が置かれた。「仕事を成しとげたらこの水晶球を割るのだ。さすれば、次の瞬間にはこの部屋にもどっているだろう」冷たい手が肩に置かれた。
「一瞬、おまえは眠るが、目が覚めたときにはケーインの都にいるだろう」
 手が離れた。なりゆきを待って立ちつくしているトゥールジャンの上にかすみがかかった。あたりは突然、喧噪の巷と化した。物がぶつかりあう音、たくさんの小さなベルの鳴る音、音楽、話し声。トゥールジャンは眉をひそめ、唇をすぼめた。パンデルームの質素な家にしては、なんと奇妙な騒がしさだ!
 女の声がまぢかで聞こえた。
「見てごらん、ほら、サンタニル。フクロウ人間が浮かれ騒ぎに眼をつぶっているよ!」
 男の笑い声がし、突然それがやんだ。「来るんだ。やっこさん、しょげこんでるのさ。それに狂暴かもしれん。来るんだ、ほれ」
 トゥールジャンは躊躇し、それから眼をあけた。白い邑壁の都ケーインの夜だった。しかもお祭りの最中だ。オレンジ色のランタンが宙に浮かび、そよ風に吹かれて動いている。バルコニーからは花房や青ホタルの籠がぶらさがっている。通りはワインで顔を赤らめた人々でわきかえっていた。みな、さまざまの奇怪な衣装に着飾っている。こちらにはメランタイン湾の荷船の船頭、そちらにはヴァルダラン緑軍の戦土、あちらには古い兜をかぶっている古代さながらの戦土。小さな人垣のなかでは花輪をかぶったコーチック沿海地の娼婦が、笛の()にあわせて〈優雅な十四態の舞い〉を踊っている。バルコニーの影のなかでは東部アルメリーの蛮族の娘と、森林地方のディオダンドのように飢を黒く塗った皮よろいの男が抱きあっている。みな陽気だった。これら衰亡しゆく地球の人々は熱に浮かされたようにはしゃいでいた。なぜなら、永遠の夜がまぢかに迫っているのだ。赤い太陽が明るさを失い、漆黒に変わる日もそう遠いことではないのだ。
 トゥールジャンは群衆のなかにとけこんだ。居酒屋にはいり、ビスケットとワインで景気をつけると、黄金侯カンダイヴの宮殿に向かった」
 宮殿が彼の前方にぼんやり見えてきた。どの窓やバルコニーにも赤く灯がともされている。都の貴族たちを集めて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしているのだ。もしカンダイヴ侯が酒で赤くなり、警戒をおこたっているなら、仕事はそれほどむずかしくはないだろう(と、トゥールジャンは思った)。かといって、ずうずうしくはいってゆけば、すぐ正体がばれてしまうにちがいない。彼はケーインではかなりの人に知られているのだ。そこで、〈ファンダールの隠れ蓑〉の呪文を唱え、人々の目の前からフッと消えた。
 拱廊(アーケード)をすりぬけ、壮大な広間にはいった。そこではケーインの貴族たちが街路の大衆と同じように浮かれていた。トゥールジャンは絹やベロアやサテンの虹を押しわけて、座興に楽しげな眼を向けながら先へと進んだ。テラスでは数人の客が一段下のプールをながめている。そこでは、油を塗った黒玉のような肌をした囚われのディオダンドが二人、水のなかを動きまわり、にらみあっていた。別の何人かは、コバルト山の若い魔女の大の字になったからだに向かって投げ矢をなげていた。隣の小部屋では花で飾られた女が喘息持ちの老人たちに合成愛を与えていた。また、別の部屋では夢想香で麻庫して眠りほけていた。どこにもカンダイヴ侯の姿はみあたらなかった。宮殿のなかを部屋から部屋へとさまよい歩くうちに、役はついに上のほうの部屋で、背の高い、金色の鬚をしたカシダイヴ侯と出会った。彼は寝いすに身をもたせ、緑の瞳と薄緑に染めた髪をした、仮面の少女をはべらせていた。
 紫の垂れ絹のあいだをすりぬけたとき、直観か、おそらく護符か何かがカンダイヴに警告を発した。
「去れ!」と少女に命じた。「ただちに部屋から立ち去るのだ! どこか近くで危難がうごめいている。わしは魔法でそれを吹きとばさねばならん」
 少女は足早に部屋から退出した。カンダイヴの手が喉もとに忍びこみ、隠された護符を引き出した。しかしトゥールジャンは手で眼を被っていた。
 カンダイヴは空間のあらゆる歪曲を解く強力な呪文を唱えた。トゥールジャンの呪文は破れ、後は姿を現わした。
「トゥールジャンがわしの宮殿を忍び歩いておるとは!」とカンダイヴがうなった。
「唇に死をひっさげてな」とトゥールジャン。「うしろを向け、カンダイヴ。さもないと、呪文と剣をお見舞いするぞ」

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