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<暮れゆく地球の物語> 第二話
 魔法使と謎の美女
   MAZIRIAN THE MAGICIAN

ジャック・ヴァンス
さとう@Babelkund訳

 魔法使いメージリアンは深くもの思いに沈んで自宅の庭園を歩いていた。木々には陶酔の実が枝もたわわに()って行く手にしなだれかかり、花々は彼が通ると媚びるように花冠をさげる。地面から一インチほどのところでマンダラゲの瑪瑙(めのう)のようにくすんだ眼が揺れ、黒いスリッパをはいた彼の足の動きを追う。これがメージリアンの庭園だった。三分された段庭(テラス)からなり、驚異にみちた不思議な草木が生育している。めくるめく虹色にあふれた植物があるかと思えば、紫・緑・藤色・ピンク・黄など色とりどりでイソギンチャクのように膨縮する花をつけた植物もある。また羽毛パラソルのような木や、透明な幹のなかを赤と黄の脈が縫うようにして走っている木。金属箔のような葉をつけた木――おのおのの葉は銅・銀・青色タンタル・青銅・緑色イリジウムなど別種の金属からなっている。こちらではシャボン玉のような花がつやのある緑の葉をつけた茎をそっと引っぱりあげており、あちらでは濯木が笛形の花を無数につけ、年老いた地球の優しい調べにのせて紅玉(ルビー)色の陽光や黒土からにじみ出る水やものうい風を歌っている。ロクアルの生垣のむこうには森の樹々が高い神秘の壁となってそびえている。この地球の老年期にあっては、誰も自分の周囲の環境に慣れ親しむことができなかった――峡谷、林間地、小渓谷、川の淵、人里離れた空地、荒廃した楼閣、陽がまばらにしか当たらない遊園、浸食谷、丘、さまざまの小川や奔流や池、草原、茂み、藪、岩肌の露出した土地、等々。
 メージリアンは思案げに眉をひそめて庭園をそぞろ歩いた。足の動きはゆるやかで、腕はうしろにまわされている。彼を当惑させ疑念の虜とし、激しい欲望をかきたてるものがいるのだ。森に住むすばらしい女がそれだった。彼女は黄金の水晶のような眼をした黒馬に乗って庭園にやって来る。なかば笑っているがいつも油断をみせない。幾度となくメージリアンはその女をつかまえようとしたが、そのつど彼女の馬がさまざまの誘惑・脅迫・口実から彼女を遠ざけてしまうのだった。
 苦悶の叫びが庭園をゆるがした。メージリアンは足を速め、モグラが動植物交配種の茎にかみついているところにたどりついた。その襲撃者を殺すと金切り声はかすかなあえぎにまで落ち着いた。メージリアンが毛皮のような葉をなでてやると、その赤い口がうれしそうに小さな声を発した。
 それから「クックックックックックック」とその植物は鳴いた。メージリアンは身をかがめて死んだ齧歯(げっし)動物を赤い口にもってゆく。口に吸いこまれると、小さな遺体は地下の消化腔胞へすべりこんだ。植物は喉をごろごろ鳴らし、げっぷをした。その様子をメージリアンは満足げにながめるのだった。
 太陽はすでに空の縁近くまでおりてきていた。その赤色の円盤は星々が見えるほどくすんでいる。ふとメージリアンは自分を見つめている存在を感じた。例の森の女に違いない。女は以前にもこのように彼のじゃまをしたことがあるのだ。彼は立ちどまり、視線の送られてくる方角をさぐった。
 不動金縛りの呪文を大声で唱えた。背後で動植物交配種が凍りつき、大き緑の蛾が一匹ふわっと地に落ちた。彼はあたりをぐるりと見まわした。そこに女はいた。森のはずれのいつもよりずっと近くまで来ている。彼が前進しても女はみじろぎひとつしなかった。メージリアンの老若入り混じった瞳が輝いた。この女を自分の館に連れてゆき、緑色のガラスの中にとじこめておこう。この女の脳を高温や低温や苦痛や快楽で試してみよう。この女に酌をさせ、黄色いともしびのもとで魅惑の十八態の(しな)をつくらせよう。おそらくこの女は自分をさぐっているのだろう。それならばすぐに正体をあばいてやる。この世に友と呼べるものなどおらず、永遠に自分の園を守らねばならないのだから。
 女はほんの二十歩先にいた。――と、そのとき、黒いひずめが大地を打ち鳴らす音がとどろき、女はひらりと馬の背にまたがると疾風のように森のなかに消えていった。
 魔法使いは激憤して外套を地にたたきつけた。女は防備――対抗呪文とか護身の神秘文字――を身につけていたのだ。しかも、追跡するのに準備不足のときに限ってやって来るのだ。彼はこんもりした薄暗がりのなかをすかし見て、女のからだの青白さがあかね色の陽光をさっと横切り、黒い蔭のなかにとけこむのを一瞬目にした。女は行ってしまった……。あれは魔女だろうか。自分の意志で来るのだろうか。それとも――こちらの可能性のほうが強いが――自分を動揺させるために敵があの女を送ってよこしたのだろうか。もしそうならば、いったい誰があの女をあやつっているのだろう。若返りの秘法でメージリアンがペテンにかけた、ケーインの黄金侯カンダイヴ。天文学者アズヴァン。トゥールジャン――トゥールジャンであることはまずない。ふとメージリアンの顔が楽しげな回想で輝く……。彼はその思いをわきへ押しやった。アズヴァンを、少なくとも問い正すことはできる。彼は足を自分の仕事場へ向けた。テーブルに歩み寄る。その上には透明な水晶の立方体が置かれてあり、赤と青の後光でぼおっと光っていた。戸棚から銅鑼(どら)と銀の鎚を取り出した。銅鑼を軽く打つと快い音色が室内に響きわたり、おもてに流れ、遠く彼方まで伝わった。彼は何度も何度も打った。すると突然アズヴァンの顔が水晶のなかに浮かびあがった。苦痛と激しい恐怖で汗が玉なして

 (2)
いる。
「打つのをやめて下され、メージリアン殿!」とアズヴァンが叫んだ。「私の生命(いのち)の銅鑼をそれ以上たたかんで下され!」
 メージリアンは手をとめた。鎚を銅鑼の上に構えたまま尋ねた。
「おまえがわたしをさぐっているのか、アズヴァン? この銅鑼を取りもどさんがために女をよこしてはいないか?」
「私ではありません、メージリアン殿、決して私では。あなたの恐ろしきは充分すぎるほどわかっております」
「おまえがあの女を遣わしたに違いない、アズヴァン。きっとそうだ」
「ありえないことです! その女がどこのだれなのか私はまったく存じません!」
 メージリアンが銅鑼を打つしぐさをすると、アズヴァンは雨(あられ)ごとく哀願の言葉をまくし立てた。そのさまにうんざりしたメージリアンは鎚を放り投げると銅鑼をもとの場所にもどした。アズヴァンの顔がすうっと遠のき、水晶の透明立体はまえと同じように空白のまま輝いた。
 メージリアンは顎をさすった。どうやら自分であの女をとらえなければならないようだ。あとで、漆黒の夜が森をおおったころ蔵書をひっかきまわして、どこで出くわすかわからない危難から自分を守ってくれる呪文をいくつかさがしてみよう。そういった呪文には強烈な腐食性があるので、一つでふつうの人間の脳を虚脱状態にし、二つなら気違いにしてしまうほどの性質をもっている。メージリアンはきびしい訓練によって最強のもので四つ、低級のものならば六つは覚えこむことができるようになっていた。
 彼はその計画を頭から追い出すと、緑の光をいっぱいに浴びた細長い合成桶のところへ行った。透明な栄養液の下に男のからだが横たわっていた。緑の強光のもとでは恐ろしげにみえるが、それでも肉体美はすばらしいものだった。胴体は逆三角で、幅広の肩から贅肉(ぜいにく)のない脇腹をとおって、長く力強い脚および弓形の足へと続いている。無表情で平坦な顔は端正で冷やかだった。けぶったような金髪が頭にまとわりついている。
 メージリアンはその生き物を見つめた。彼はこれを単細胞から培養してきたのだ。あとこれに必要なのは知能だけだったが、それを付与する術を彼は知らなかった。ミールのトゥールジャンはその知識をもっているのだが、トゥールジャンは(メージリアンは目を気味悪く細めて床のはねあげ戸を見やった)自分の秘密を手放すのを拒絶したのだった。
 メージリアンは合成桶のなかの生き物について思いをめぐらした。これは非のうちどころのないからだをしている。そのゆえに脳が無秩序で扱いづらいということがあるだろうか。どうしてもつきとめてやる。彼は装置を作動させて液体を排出した。やがて男のこわばったからだが直射光にさらされた。メージリアンは首筋に徴量の薬を注射した。からだがぴくぴく動く。目が開き、強光にたじろいだ。メージリアジは投光器の向きをそらせた。合成桶のなかの生き物は力なく手足を動かした。まるでその使い方を知らないかのようだ。メージリアンは一心に見守った。ことによると脳の正しい合成法に行き当たったのかもしれない。
「からだを起こせ!」とメージリアンは命じた。
 生き物の両眼が彼を見据え、次いで、反射作用で筋肉がひきしまる。そして一声(ひとこえ)、喉からしぼり出すようなうなりをあげると、合成桶から飛び出してメージリアンの喉元につかみかかった。メージリアンの力をものともせずに彼をとらえ、まるで人形でもあつかうようにゆさぶった。
 メージリアンには魔法があるにもかかわらず、手も足も出なかった。催眠の呪文はさきほど使ってしまって、頭のなかにはほかに一つも残っていなかった。どっちみち喉をこうがむしゃらに押さえられていては、宇宙をひねってしまう呪文の音節でも唱えることはできない。メージリアンの手が鉛製大瓶の首をつかんだ。それを振りおろし、生き物の頭部を打つ。生き物は床にくずおれた。
 メージリアンは、まったく不満だというほどでもない面持ちで、足もとのつやつや光るからだをじっと見つめた。脊柱の調節はうまく働いた。テーブルの上で白い薬剤を調合すると金髪の頭をもちあげてその液体をゆるんだ口のなかに流しこんだ。生き物は身動きし、目をあけ、肘でからだをささえた。狂気はその顔から去っていた――が、メージリアンはそこに一片の知性のきらめきをも見出だすことはできなかった。両眼はトカゲの目と同じようにうつろだ。
 魔法使いは困惑して頭を振った。窓ぎわに歩いていった。自らの思いに沈んだその横顔が長円形の窓ガラスを背景に黒いシルエットを見せる……。もう一度トゥールジャンに当たってみるか? 最大の窮地で尋ねてもトゥールジャンは秘密をあかさなかった。メージリアジの薄い唇が冷酷にゆがんだ。通路に(かど)を一つふやせばたぶん……。
 陽が落ち、メージリアンの庭園を宵闇がつつんだ。白い夜咲き花がひらき、その餌食となる灰色の蛾が数匹、花から花へと舞っている。メージリアンは床のはねあげ戸を引きあけると石段を降りていった。下へ、下へ、下へと……。やがて通路が直角に交叉して永久灯の黄色い光に照らし出されているところに来た。左手には菌類の培養床があり、右手には三つの錠がおろされた堅固な樫と鉄の扉がはだかっている。下方前方に石段は続き、闇のなかに消えていた。

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