アリスとジェニーと白のクイーンと  さとう@Babelkund

 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(一八六五)の姉妹編に『鏡の国のアリス』(一八七一)という作品がある。その「第五章 羊毛と水」の前半部分をまず拙訳でお読みいただこう。

 アリスは喋りながら(訳注:前章の最後でアリスは「あら、だれかのショールが大風に飛ばされてる!」と言っている)、そのショールをつかみ、持ち主を探しました。つぎの瞬間、白のクイーンが森から必死に駆け出してきました。飛んでいるみたいに両腕を左右に伸ばしています。アリスはショールを持って、とても礼儀正しくクイーンを迎えに行きました。
「たまたまわたしが途中にいてよかったですわ」アリスはそう言いながら、クイーンがショールをかけなおすのを手伝ってあげました。
 白のクイーンはびっくりしてどうしたらいいかわからないといった様子で、ただアリスを見ていました。小声でなにかぶつぶつと独りごとをくりかえしています。「バターつきパン、バターつきパン」と言っているようです。もし会話をするつもりなら、わたしのほうから持ちかけなければならないようね、とアリスは思いました。それでちょっとびくびくしながら口をひらきました。「陛下とお話したく存じますが、いかがでしょうか?」
「そうね、いいわよ、それをオシタクと呼びたければ」とクイーンは言いました。「わたしはぜんぜんそうは思わないけどね」
 会話の最初から議論になるなんてまずいわとアリスは思いました。それで笑顔をうかべて言いました。「もし陛下が正しい始め方を教えてくださるなら、できるだけそのようにいたしますわ」
「でも、わたしはぜんぜんそうして欲しくはないわ!」よれよれのクイーンは不満の声をもらしました。「この二時間というものずっと自分で身ジタクしているのよ」
 もしクイーンがだれかに身支度をさせていたら、もうすこしましになっていただろうとアリスには思えました。彼女の身ごしらえはひどくだらしなくなっていたのです。「どこもかしこもめちゃくちゃだわ」とアリスは思いました。「それに全身ピンだらけじゃない!――わたしがショールをきちんとかけてさしあげましょうか?」アリスは声に出して言いました。
「いったいどうなっているのか、わからないのよ!」とクイーンは憂鬱そうな声で言いました。「へそを曲げているんだと思うわ。こっちをピンで留め、あっちをピンで留めても、機嫌がなおらないの!」
「片側ばかりピンで留めても、まっすぐにはできませんわよ」アリスはそう言いながら、やさしくショールを巻いてさしあげました。「それと、あら、おぐしのようすがたいへん!」
「ブラシが中にからまっているのよ!」クイーンがため息をついて言いました。「それにクシをきのう失くしてしまったの」
 アリスは注意深くブラシを取り出して、できるかぎり髪をきちんとしてあげました。「ほら、だいぶ良くなりましたよ!」アリスはピンをほとんど刺し直してから言いました。「でも、ほんとうに侍女がいたほうがいいですわ!」
「そうね、よろこんであなたをわたしの侍女にしてあげましょう!」とクイーン。「一週間に二ペンス。それから一日おきにジャムをあげるわ」
 アリスは失笑しながら言いました。「わたしを雇っていただきたいわけではないんです――それにジャムはほしくないし」
「とってもいいジャムなのよ」とクイーン。
「でも、とにかく今日の分はいらないわ」
「たとえあなたがほしかったとしても、それはもらえないのよ」とクイーン。「規則では、明日のジャムと昨日のジャム――今日のジャムはないの」
「いつかは『今日のジャム』になるはずよ」とアリスが異議をとなえました。
「いえ、そうはならないの」とクイーン。「一日おきのジャムなのよ。だから今日は飛ばされてしまうの。わかるでしょ」
「おっしゃっていることがわかりません」とアリス。「頭がひどく混乱しちゃうわ!」
「それは過去に向かって生きることの影響なのよ」とクイーンがやさしく言いました。「さいしょはちょっとくらくらするものよ」
「過去に向かって生きるですって!」アリスがびっくりして繰り返しました。「そんなの聞いたことないわ!」
「――でも、それにはひとつとってもいいことがあるのよ。記憶が未来にも過去にも働くもの」
「わたしの記憶は一方にしか働かないわ」とアリス。「何かが起こる前に、それを思い出すことはできないもの」
「過去にしか働かないとは、なんておそまつなたぐいの記憶だこと」とクイーン。
「陛下がいちばんよく覚えていらっしゃるたぐいの出来事は何ですか」アリスは思い切って聞いてみました。
「そうね。再来週起こったことね」クイーンは平然と答えました。「そう、たとえばね」話を続けながら、おおきな絆創膏を指に貼りました。「キングの使者がいるの。彼はいま牢屋に入れられ、罰を受けています。裁判は来週の水曜日まで始まりません。罪をおかすのはいちばん最後になります」
「もし彼が罪を犯さなかったら?」とアリス。
「それならなおさらいいと思わない」クイーンはそう言いながら、短いリボンを指に巻いて絆創膏をとめていました。
 それを否定することはできないわ、とアリスは思いました。「もちろんそれに越したことはないと思うけど」とアリス。「でも、彼が罰せられることが、なおさらいいとは思えないけど」
「そこが間違っているのよ、そもそも」とクイーン。「あなたは罰を受けたことがあるの?」
「わたしが悪かったときだけね」とアリス。
「それであなたはいい子になったでしょう!」とクイーンが勝ち誇ったように言いました。
「そうね。でも、それはわたしが罰を受けるようなことをしたからよ」とアリス。「ぜんぜん違うわ」
「でも、あなたがそんなことしなかったら」とクイーン。「ずっといいわよね。ずっと、ずうっと、ずうっとお!」彼女の声は「ずっと」と言うたびに高くなって、ついにはキーキー声になりました。
「どこか間違っていると――」とアリスが言いはじめたときに、クイーンが叫びはじめたので、声のあまりの大きさに、アリスは言葉をとちゅうで切らざるを得ませんでした。「オー、オー、オー!」クイーンは大声をあげながら片手を振り回しました。まるで手を振り飛ばしたいみたいです。「指から血が出ている! オー、オー、オー、オー!」

 その叫び声はまるで蒸気機関車の汽笛そっくりなので、アリスは手のひらで両耳をふさがなければなりませんでした。
「どうなさったんです?」アリスは自分の話を聞いてもらえる機会を見つけるやいなや、そう言いました。「指を刺したんですか?」
「まだ刺していないわよ」とクイーン。「でも、もうすぐよ――オー、オー、オー!」
「いつなのか予期できるんですか?」アリスはそう言いながら笑い出しそうになりました。
「わたしがショールをしっかり留め直すときよ」よれよれのクイーンはうめくように言いました。「このブローチがすぐにはずれるわ。オー、オー!」その言葉を発するいなや、ブローチがぱちんとはずれたので、クイーンはあわててそれをおさえにかかり、留め直そうとしました。
「気をつけて!」とアリスが叫びました。「ねじ曲げて持っているわ!」アリスはブローチをつかもうとしましたが、間に合いませんでした。ピンは手をすりぬけてクイーンの指を刺してしまいました。
「これが血の出たわけなのよ」クイーンはほほえみながらアリスに言いました。「もう、あなたはここで物事が起こる筋道を理解できたでしょう」
「でも、今度はどうして叫ばないんですか?」アリスはもういちど両手を耳に当てようとかまえてたずねました。
「あら、もう叫ぶのはすっかりやってしまったわ」とクイーン。「もういちどそれを繰り返して、どんな得があるというの?」

 さて十九世紀に書かれたこのファンタジーには、この箇所だけでSFのアイデアが三つ含まれている。
 ひとつは「一日おきのジャム」。日にちが違うと出会えないというアイデアは、フィリップ・ホセ・ファーマーの『デイワールド』で使われている。世界を七日に分けて同じ場所をシェアしている人口過密社会を描いている(ちなみに『デイワールド』の「デイ」は日にちでなく曜日の意味なので、『七曜世界』のほうが好ましい)。
 もうひとつは「過去に向かって生きる」ということ。白のクイーンは時間軸を未来方向にも過去方向にも進むことができる。アリスはクイーンが過去に向かって生きているときに出会ったので、クイーンが指にピンを刺して、指から血を流して叫び、絆創膏と包帯を巻く出来事が、アリスには逆の順で起きているように見えている。このエピソードを「鏡の国」では原因と結果が逆の順番で起きると解釈する人がいるが、それは間違いである。白のクイーンが「それは過去に向かって生きることの影響なのよ」と言っているとおりである。
 三つ目は「未来の記憶」。過去方向に生きているときは、未来のことがすでに起きたことの記憶として残っているので、その情報をもとに犯してもいない罪によって罰せられる。このアイデアはフリップ・K・ディックの『マイノリティ・リポート』の中で使われている。犯罪予防局のプレコグ(予知能力者)によってもたらされる未来の情報をもとに、犯罪者は犯行前に逮捕されてしまう。

 ここで白のクイーンが言っている「それは過去に向かって生きることの影響なのよ」の「過去に向かって生きること」の原文はliving backwards。Backwardsをロングマン現代英英辞典で引くと、第一義がin the direction that is behind you(自分のうしろのほうに)、第二義がtowards the beginning or the past(最初あるいは過去に向かって)となっている。第一義は空間的な背後、第二義は序列上あるいは時間的な遡行の意味である。
 これを既訳の『鏡の国のアリス』でどのように訳しているかをみてみる。
◆それはうしろ向きに生きているせいですね(河合祥一郎訳、角川文庫・角川つばさ文庫)
◆後ずさりの生きかたしてるせいなのよ(矢川澄子訳、新潮文庫)
◆うしろむきに生きているせいだよ(高杉一郎訳、講談社文庫・講談社青い鳥文庫)
◆後戻りに生きるとそうなるのじゃよ(柳瀬尚紀訳、ちくま文庫)
◆あともどりして生きておるせいじゃ(多田幸蔵訳、旺文社文庫)
◆それは逆方向に生きているせいでしょうね(脇明子訳、岩波少年文庫)
◆うしろむきに生きてゆくとそうなるのさ(生野幸吉訳、福音館文庫・福音館古典童話シリーズ)
◆うしろ向きに生きているためだよ(中山知子訳、フォア文庫)
◆あともどりに生きることだ(芹生一訳、偕成社文庫)
◆それは、後ろ向きに暮らしているから(佐野真奈美訳、ポプラポケット文庫)
◆うしろ向きに生きとればそんなことはないよ(高山宏訳、東京図書『新注 鏡の国のアリス』)
◆後ろ向きに暮らしておるとわかるぞ(高山宏訳、亜紀書房)
◆後ろ向きに生きるとそうなるわね(芦田川祐子訳、集英社文庫『ポケットマスターピース11/ルイス・キャロル』)
 どれもbackwardsを第一義の空間的な背後として訳している。そのため大半が「消極的に生きている」という意味の比喩表現とも取れる訳になってしまっている。この箇所はとても大事なところなのだが、これらの訳では「未来の記憶」が生じる理由や、指に絆創膏を貼ってからピンで刺す理由がさっぱりわからない。
 それでは日本ルイス・キャロル協会の安井泉会長の訳を見てみよう。
◆過去に向かって生きるということはそういうことなのよ(新書館『鏡の国のアリス』86ページ、二〇〇五、左図)
 また、同協会西日本支部長・下笠徳次氏の訳ではこうなっている。
◆過去に向かって生きるということはそういうことなのさ(「実況中継:近代英語の精華『鏡の国のアリス』を英々辞典PODとLDOCEで精読して行く!」135ページ、山口県農協印刷、二〇一七)
 おふたりとも大学の英語学の先生なので、しっかりと訳している。
 ちなみに、PODはPocket Oxford Dictionary(ここでは一九六九年の第五版)、LDOCEはロングマン現代英英辞典Longman Dictionary of Contemporary English。

 つぎに挙げるのはタイムスリップ・ファンタジーの傑作、ロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』(一九三九)。第十章で画家イーベン・アダムズが絵のモデルとなったジェニー・アップルトンとアトリエで会話する場面。また拙訳でお読みいただこう(左図の Popular Library 一九六七年版を底本とした)。



「イーベン」やがて彼女は息をおさえた奇妙な声で話しはじめた。「考えたことない? ひとはときどき、先に待ち受けていることが分かるのだって。つまり――自分に何が起こるのかっていうことよ」
 しかしぼくは絵を描くことに集中していて、自分のやっていることしか考えていなかった。そうでなければ手を止めて――考えて――たぶん、その質問にいったいどう答えようか悩んだことだろう。実際は中途半端にしか聞いていなかった。それで考えもせずに答えてしまった。
「ナンセンスだ」とぼくは言った。
 ジェニーは一瞬口を閉じ、それから「どうかしら」とゆっくり言った。「はっきりとは言えないけど。ひとはときどき何かに悲しく感じることがあるでしょ――まだ起きていな

いことなのに。それはたぶんこれから起こることなのよ。たぶんわたしたちにはそれが分かっているんだわ。自分でそれを認めるのがこわいだけなのよ。イーベン、もし先のことを見ることができたとしたら――起ころうとしていることを悲しいと思わないはずはないわ。ただ、これから起こることを知りたくないので、それを心配とかそんなふうに呼んでいるのよ」
 聞いてはいたが、ぼくはそれにたいして注意を払わなかった。「まるで白のクイーンみたいだね」とぼくは言った。
「白のクイーンって?」
「アリスの登場人物さ」と彼女に説明した。「彼女はさいしょに大声をあげて、そのあとで自分の指を突き刺すのさ」
「あら」とジェニーが小さな声で言った。絵を描くこと以外にほとんど注意を払っていなかったとはいえ、彼女を傷つけてしまったことは分かった。
「いいわ」と彼女は言った。「もう何も言わない」
 椅子にすわっている残りの時間ずっと、彼女はだまってにこりともせずそこに腰掛け、もういちど自分の中に引きこもって、夢見るような遠くを見るようなまなざしを浮かべていた。

 ここは物語の最後を予感させる重要な箇所である。前述の『鏡の国のアリス』の訳を読まれているみなさんは、ここでイーベンが言っていることはよくわかるはずだ。
 ジェニーの「白のクイーンって?」からイーベンの「指を突き刺すのさ」までの会話部分を過去四人の翻訳家がどう訳したか見てみよう。


◆山室静訳(一九五〇、一九五六、一九七〇、一九七七)
●「白いお妃って?」「アリスに出てくるあれさ。彼女ははじめ喋りたてて、そのあとで悔んだのさ。」(一九五〇、鎌倉書房(右図)/一九五六、ダヴィッド社)
●「白いお妃って?」「アリスに出てくるあれさ。彼女ははじめしゃべりたてて、そのあとでくやんだのさ。」(一九七〇、偕成社少女ロマン・ブックス)
●「白いお妃って?」「アリスにでてくるあれさ。はじめはしゃべりたてているけど、じきにどうにもならなくなるのさ。」(一九七七、偕成社文庫)
◆井上一夫訳(一九五四、一九七五)
●「白い女王って?」「不思議の国のアリスに出てくるさ。最初はわあわあどなりちらして、後では自分で身動きできなくなるんだ」(一九七五、ハヤカワ文庫/一九五四年のハヤカワ・ポケット・ブック版は未入手。訳は同じと推測される)
◆大西尹明訳(一九五九)
●「『白い女王』って?」「不思議の国のアリスに出てくる女王さ。はじめはどなっていて、あとで自殺したのさ」(一九五九、東京創元社世界大ロマン全集)
◆大友香奈子訳(二〇〇五)
●「〈白の王女さま〉って?」「『鏡の国のアリス』のさ。まず、わあわあとわめきちらして、それから自分で指を突き刺すんだ」(二〇〇五、創元推理文庫)

 原文にそって順に見ていこう。
@The White Queen?:チェスの紅白の駒なので「白い」ではなく「白の」である。チェスやトランプにはKingとQueenがある。トランプではキング、クイーンと呼んでいる。王と女王の両方がいる王国はないであろうから、本来Queenは「女王」ではなく「妃」だが、チェスでは慣例でQueenを「女王」と呼んでもさしつかえないだろう。しかし、princessではないので大友訳の「王女」は間違いである。したがって、四人とも不正解。
AThe one in Alice:Aliceは『鏡の国のアリス』の作品名をさしているのだが、井上訳と大西訳ではわざわざ『不思議の国のアリス』としてしまっているので間違い。
BShe hollered first:クイーンがピンを指に刺して叫ぶところである。喋りたてたり、どなったり、わめきちらしたりしているわけではない。アリスの原文ではscreamだが、画家イーベンは米語のしゃべり言葉でhollerを使っている。ロングマン現代英英辞典ではhollerはshout loudly(大声で叫ぶ)の語釈がついている。四人とも不正解。
Cand stuck herself afterwards:クイーンがうっかり自分の指を刺してしまったところである。アリスの原文ではthe pin had slipped, and the Queen had pricked her fingerとなっている。Stick(stuckの現在形)もprickも「刺す」という意味。Stuck herselfは「悔んだ」でも「身動きできなくなる」でも「自殺した」でもないし、ピンがすべって指に刺さったのだから「自分で指を突き刺した」のでもない。四人とも不正解。

 なんとまあ、たったこれだけの箇所で五十五年間にひとりも適訳が出ないとは(大友訳がかろうじて正解に近いがQueenを王女としてしまったケアレスミスは惜しい)。『鏡の国のアリス』は一九四八年の小峰書店青空文庫や一九五九年の角川文庫で入手しやすい翻訳が出ているので、原文に当たらなくても翻訳で簡単に確認ができたはずである。

 『ジェニーの肖像』は一九四八年に映画化され、日本では一九五一年(昭和二十六年)七月に東宝系で公開された(左図は当時のパンフ)。はたして、当時このタイムスリップ・ファンタジーは正しく理解されたのであろうか。



 梶尾真治さんが『タイムトラベル・ロマンス』(平凡社、二〇〇三)でこの映画を紹介しているが、その中でこう書いている(33ページ)。
 恋愛幽霊譚だと紹介しているものは見つからなかったが、清水俊二が『映画之友』昭和二十六年七月号でこの映画を次のように解説していた(50〜51ページ)。
 監督が仕掛けたトリックに翻弄された結果である。ジェニーをほかの者と会わせる場面を故意に作らないことで、観客にジェニーは実在しないのではないかと思わせているのである。

 ファンタジーの非日常現象は、SFと違って共通のルールや決まり事がない。あくまでも作者によって創出され、物語の展開に必要な箇所に挿入される。訳者や評論家は自分の読解力と知識をフル稼働して作者が置いたその標識を見落とさないようにしなければならないのである。
 筆者も、今回の発見を他山の石として翻訳に励みたいと思う。

「過去に向かって生きる」に続く

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