女性はどのように喋るのか

 学生のころ、小説の翻訳をはじめてしばらくすると、会話文での女性の言葉の訳し方が気になりはじめた。少女が主人公の『翼のジェニー』という短編の拙訳を知人の女性に読んでもらったところ、女の子はそんな言い方はしないと指摘されてしまったことがあった。商業誌に掲載されるときに文章を四苦八苦して直したが完璧からは程遠く、のちに自分のホームページに掲載するときにまた手を入れた。女性の会話についてはプロの翻訳家でも苦労するらしく、同じころSFファンの例会で、知り合いの翻訳家、伊藤典夫さんがビヴァリ・クリアリー『十五才の頃』Fifteen(秋元書房、内村直也訳)の女の子の喋り方の訳に着目していると話したことがある。これをきっかけに、その仲間内でこの作品がちょっとしたブームになったことを覚えている。以来、翻訳での「女性語」の扱いについてはずっと気にかけてきた。
 時代とともに口語は変化している。先日、昭和四〇年代の特撮ドラマの再放送を見ていたら、桜井浩子が「あらいやだわ。失礼ね」と言っていた。いまどきこんな言い方はしないだろう。最近、海外ドラマをよく見るが、女性(特に女刑事)の吹き替えの翻訳のうまさにはうならされる(たいてい、翻訳者は女性だが)。ただ、映像作品と違って小説では、だれが喋っているかを前後関係や口調で示さなければならないので、リアルな言葉づかいではつごうが悪いことがある。こうした翻訳の悩みは昔からあったようだ。若松賤子訳の『小公子』は、明治中頃に言文一致体を目指した歴史的な翻訳作品ということで、わたしは日本イギリス児童文学会の例会のあとの懇親会である方からこの本のことを教えていただき、さっそく岩波文庫版を入手して、目を通した。口語をいかに文章に落とすかという、若松賤子の苦労のあとが見てとれた。
 結局、小説というのは擬似口語(金水敏のいう、いわゆるヴァーチャル日本語「役割語」)に依存せざるを得ない部分があり、女性語もその例外ではないのだろう。
 一方で、「ギャル語」のような女性特有の言葉づかいがリアル世界の文化として時代ごとに存在していることも確かで、歴史的にも女房言葉や花魁言葉、女学生言葉などがそのよい例だろう。
 こうしたことは日本語に顕著なのかと思い、いろいろと調べていたら、Valspeakに行き当たった。一九八〇年代前半にカリフォルニアのサンフェルナンド・ヴァレーの上流社会の女の子たち(ヴァレー・ガール)から広まった、いわゆる「ギャル語」だ。ヴァレー・ガールのライフ・スタイルは、喋り方だけでなく、ファッション、ヘアスタイル、化粧、エチケット、ショッピング、お気に入りのグッズ、室内の装飾、男の子の好み、音楽など全般にわたり、当時社会的に大きな影響を与えたらしい。ヴァレー・ガールになるためのハウツー本がつぎつぎと出版され、ヴァレー・ガール・コンテストなるものも開かれたそうだ(いまでもYouTubeでその様子を見ることができる)。フランク・ザッパが娘のムーミン・ユニットと歌った「ヴァレー・ガール」や、ニコラス・ケイジ主演の青春映画「ヴァレー・ガール」は大ヒット。その残り火はいまでもくすぶっているらしく、当時のヴァレー・ガールがむかしを懐かしんで書いた本The Valley Girl Turns 40 (Laura Ross, 2008)も出ている。
 Valspeakの例が、女性初のスペースシャトル乗組員サリー・ライドがスペースシャトルの乗り心地について尋ねられたときの答え。"Ever been to Disneyland? …That was definitely an E ticket!"と答えているが、このdefinitelyで強調しているのがValspeak。「マジEチケット気分よ!」といったニュアンス。Valspeakではほかにも、totally, fer shurr(for sure), Oh my Godなどを、発言を強調するためによく使っている(前述の映画を参照)。特有の隠語もあって、airheadは「おバカ」、awesomeは「恐ろしい」ではなくて「すてき」、barf me outは「ゲロゲロ」。あと、発言を断定せず曖昧にするために、likeを文頭や文中に副詞的に頻繁に挿入したり、肯定文の語尾を上げて発音する、いわゆる「半疑問文」を使ったりする。「〜みたいな」「〜とか」に相当する言い回しが三十年以上前から米国で使われていたのだ。ヴァレー・ガールの流行は東海岸には及ばなかったようだが、このlikeの使い方は現代米語に定着してしまったようで、いまの学生は I think that…の代わりにI think like…をよく使うという。
 こうして、学生時代の翻訳上の課題であった「女性語」が、Valspeakまでたどりついてしまった。別にわたしの専門分野でもなく、Valspeakを覚えたからといって発表や使用の場があるわけでもないのに、まだまだヴァレー・ガールはわたしのマイ・ブームの中心にとどまっており、これからは彼女たちの好きだった映画や音楽にまで関心が広がりそうだ。
【初出】「日本イギリス児童文学会会報」
    (二〇一五年秋季号)




【参考文献】
『十五才の頃』(ビヴァリ・クリアリ、内村直也訳、秋元書房、1957年)
『小公子』(バアネット、若松賤子訳、岩波文庫、1927年)
『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(金水敏、岩波書店、2003年)
The Valley Girls' Guide to Life (Mini Pond, Dell, 1982)
How to Deprogram Your Valley Girl (Dr. Lillian Glass, Workman Publishing, 1982)
Fer Shurr! How to Be a Valley Girl (Mary Corey and Victoria Westermark, Bantam, 1982)
The Valley Girl Turns 40 (Laura Ross, iUniverse, 2008)
Speaking American: A History of English in the United States (Richard W. Bailey, Oxford University Press, 2012)


RETURN