■《化け魚亭(ばけうおてい)》へようこそ■

 日曜日の昼すぎ、ノンコは近所のあき地でふしぎな笛の音を聞きました。おかあさんにたのまれたおつかいの帰りで、近道をするために、そのあき地をとおったのです。その笛の音は、トライアングルがリズムをとりながらおしゃべりをしているような、きみょうな音色でした。だれがふいているのだろうと、あたりを見まわすと、目のすみでなにかがうごいたような気がしました。でも、そちらを見てもだれもいませんでした。そうするうちに、音はきこえなくなりました。
 ノンコが熱をだしたのは、その日の夕方でした。
「きっと、かぜでしょう」
 おかあさんはそういうと、夕食もそこそこにして、こども部屋にふとんをしき、ノンコをねかせました。しばらくすると、からだのあちこちに赤いぽつぽつが出てきました。おかあさんは、あしたお医者さんにみてもらいましょうといいました。
 夜の九時ごろになると、こんどは鼻がむずむずしはじめました。そして、
「くしゅーん!」
と大きなくしゃみをしました。そのあと、口をおさえようとしてふとんから出した手をなにげなく見て、ノンコはおやっと思いました。ぽつぽつの色がなんだかかわったような気がしました。赤というよりオレンジ色っぽいのです。と思うまに、またひとつ
「くしゅーん!」
 もう一度ぽつぽつを見ると、なんと黄色にかわっているではありませんか。こんどくしゃみをしたら、きっと緑色になってしまうわ、と思って、もうくしゃみはがまんしようとしましたが、そう決心したそばから
「くしゅん、くしゅん」
と二回つづけてしてしまいました。ノンコの心配したとおり、ぽつぽつの色は緑に、そして青へとかわりました。そのあとも、くしゃみのたびにあい色に、そしてすみれ色にと虹の七色にかわって、また赤にもどりました。鼻のむずむずがおさまってから、おかあさんをよんで、そのことを話したのですが、
「熱でうなされて、わるい夢でも見たんでしょう」
と信じてもらえません。そんなときにかぎって、かんじんのくしゃみが出ないのです。くやしさのあまり、ノンコはふとんをかぶって、ねてしまいました。
 夜中にのどがかわいて、ノンコはふと目をさましました。水をのみにいこうと、ふとんから起きて立ちあがると、なんだか、からだがフワフワします。一二歩、歩いてみると、からだの重さがなくなったような感じです。きっと病気のせいでそんなふうに感じるのだろうと思いました。
 うす暗がりのなかをドアのほうへ歩きだしたノンコは、横のかべの一部が青白くぼんやりと光っているのに気がつきました。大きさはドアくらいで、よく見るとレースのカーテンみたいにむこう側がぼんやりとすけて見えます。ノンコがなにげなくそちらに手をのばすと、手さきはその青白く光ったカーテンのようなものをつきぬけてしまいました。どうしてこんなところに通り道があるのかしらと、ふしぎに思いながら、ノンコはそのなかにはいっていきました。
 とおりぬけてから考えてみると、こども部屋のかべのむこうはとなりの部屋のおしいれだったはずです。ところが、ノンコが立っているのはせまい路地で、両側には石づくりやれんがづくりの家が立ちならび、その家々のかべについた街灯が道にしきつめられたうすいピンク色の石だたみをてらしています。ノンコははだしでしたが、石の道はつめたくもないし、よごれてもいませんでした。路地のさきのほうから歌声や陽気な話し声が聞こえてきます。その声にひかれてノンコは歩きだしました。足どりはさっきとおなじで、フワフワと半分とんでいるような感じです。
 さわがしい声は、路地からすこし広い通りへ出る角の建物のなかから聞こえてきます。角をまがるとドアのない入り口があり、なかからあかりがもれています。入り口のうえには、きみょうな魚のかたちをした看板がさがっていました。ノンコはそっとなかをのぞいてみて、びっくりしました。なかでさわいでいるのは、どうやら人間ではないようなのです。すがたかたちは人間ににていますが、せなかにトンボのようなすきとおった羽がはえていたり、足までとどく緑色のあごひげをはやしていたり、頭でくるっとまいた角が二本はえていたり……きっと妖精たちにちがいありません。
 妖精たちは大きなテーブルをとりかこみ、銀のカップや角のさかずきで酒をのみながら歌ったり、大声で話したり笑ったりしています。ノンコは気づかれないように首をひっこめようとしたのですが、まがわるいことに、こんなときになって鼻がむずむずしはじめたのです。くしゃみというのはおさえようとすればするほど、大きくなってかえってくるものです。
「はっくしょーん!」
 そのとたんに、ノンコのからだはふんわりと浮かびあがって、妖精たちがかこんでいるテーブルのほうにただよっていきました。フワフワしていたからだがくしゃみのいきおいで前にとびだしたのです。そしてテーブルのうえにふわっと着地しました。
「やあめずらしい。人間のこどもだぞ。ようこそ、《化け魚亭》へ」
と耳のとがった妖精がいいました。ノンコはもうにげもかくれもできないので、かくごをきめてぴょこんとおじぎをしました――パジャマすがただったので、ちょっと気がひけましたが。こんどはむらさき色のあごひげをはやした妖精がいいました。
「見ろよ、顔や手にオレンジ色のぽつぽつができて。おじょうちゃん、おかげんがわるいのでは」
「ええ、ちょっと。くしゅん」
 ノンコはテーブルのうえから答えました。
「おや、ぽつぽつが黄色にかわったぞ。こいつはおどろきだ。人間のこどもが七色はしかにかかっているとは。てっきり妖精だけしかかからないものだと思っていたぜ。おい、よっぱらい医者のコッドじいさんをまえにひっぱりだせ」
 わいわいさわぐ妖精たちのあいだをぬってまえにつれてこられたのは、はげあたまで赤ら顔の小柄な妖精でした。銀色のひげがほおと口のまわりをおおい、さいごにあごのところでくるっとふたまたにわかれています。ノンコはテーブルからおろされ、コッドじいさんのまえにすわらされました。もしゃもしゃした銀色のまゆげのしたからノンコをのぞきこんだコッドじいさんは、こういいました。
「たしかに七色はしかじゃ。妖精にうつされたな。いまこの病気にかかっているのは、いたずらものの小妖精ピックスだけじゃ。だれかにうつさぬよう、とじこめておいたに、あいつめ、わしの目をぬすんで人間の世界をほっつき歩きおったな」
「よっぱらいのじいさんの目をぬすむなんて、かんたんだろうよ」
とだれかがからかったので、どっと笑い声があがりました。じいさんはそれに気をはらわずにつづけました。
「この病気は人間にもうつるのじゃ。ただ症状が妖精のばあいとちょっぴりことなる。まず熱がでて、そのあとくしゃみのたびに色がかわる発疹ができる――これは妖精のばあいとおんなじじゃ。それから、からだが妖精のようにかるくなる。そしてもうひとつ、〈妖精の道〉が見えるようになる。それでおじょうちゃんは、ここにくることができたのじゃろう」
 あの青白いレースのカーテンみたいな通り道のことだと思い、ノンコはうなずきました。
「〈妖精の道〉というのはあちこちで妖精の世界と人間の世界をつないでおるぬけみちでな、それを見ることのできるものにしか通れないのじゃよ」
「でも、その小妖精にどこで病気をうつされたのかしら」
とノンコはききました。
「この病気は音楽伝染するのじゃよ。病気になるちょっとまえに、聞きなれない歌とか音楽を聞いたおぼえがあるはずじゃ。ピックスだったらきっと銀の横笛じゃろう。まあ、すばしっこいあいつのことだから、すがたは見えんかったじゃろうが」
 昼間、あき地で聞いたあの笛の音がきっとそうだったのでしょう。ノンコはまたうなずきました。
 そのあと、コッドじいさんは肩にせおった革ぶくろのなかから、いろいろな薬草や薬つぼをひっぱりだしてノンコの治療にかかりました。いわれるままに薬をのんだり、いぶした薬草のけむりをすったりしているうちに、目がとろんとしてきました。コッドじいさんがなにかいったのですが、聞きおわるまで目をあけていることができませんでした。
「ざんねんながらこのわしでも、人間にうつった七色はしかを完全になおすことはできないのじゃよ。どうしてもなおせないのが……」
 つぎの朝、ノンコはじぶんのふとんのなかで目をさましました。病気がすっかりなおって元気に学校へでかけていくノンコを、おかあさんは目をまるくしてみおくりました。
 二三日たっても病気がぶりかえすことはなく、おかあさんを安心させました。ただ、このごろちょっとこまるのは、こども部屋やあき地であそんでいるはずのノンコのすがたがいつのまにか見えなくなって、とつぜんおしいれとか、たんすのかげとか、へんなところからあらわれてびっくりさせられることなのですが……
              □おわり□

【初出】横須賀基督教社会館 幼児グループ
    うさぎぐみ卒園文集『おもいで』
    No.14(1987/03)

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