■魔法の国行き最終便■

「あのォ、その本みせてくれませんか……」と声がした。それは、みおが図書館でふしぎな本をみつけて、それに夢中になっているときのことだった。
 その本は、音楽に関する本がならんでいる棚でみつけたのだった。となりにあったエレクトーンの本をとるつもりでまちがえてとってしまったのだ。パラパラとページをめくってびっくりしてしまった。ちょっと見たところは楽譜のようなのだが、よく見るとぜんぜんちがうのだ。音符は丸いかたちだけでなく、星のかたちや菱形のもある。色も黒だけでなく、赤や緑や黄や紫など色とりどりだ。だいいち音符がのっているのは五線譜ではなく七線譜なのだ。しかも、あちこちに書いてある文字や記号の中には、みおが小学校の音楽の時間にならったものはひとつもみあたらない。
 みおは近くの机にすわってその本をじっくりと調べはじめた。本の題名は外国語らしく、みおには読めなかった。百ページ以上ある本で、最初から最後までなかみは同じようだった。何の本だろう。どこか遠い国の、奇妙な楽器のための楽譜なのだろうか。それとも、このごろはやっているコンピュータ音楽の楽譜かなにかなのだろうか。みおはページをめくりながら考えこんでしまった。そのときだったのだ。「その本をみせてくれませんか」という声がしたのは。
 みおは本から顔をあげた。目のまえに、みおと同じ五、六年生くらいのとしの男の子が立っていた。その子の顔つきも、黒っぽい服装もどこかふつうとちがっていて、外国人のようなふんいきをただよわせている。
 みおはちょっと腹が立った。図書館でひとが見ている本を見せろだなんて勝手すぎると思ったのだ。それに、自分にはちんぷんかんぷんの本なのに、同じとしくらいのこの子には何の本だかわかっているらしいというのが、しゃくにさわったのだ。それでわざといじわるがしたくなった。
「わたしが見おわるまで、待ってくれてもいいでしょう」
 男の子はこまった顔をした。そのとき、何か黒いものがみおの右手をかすめて、男の子の上着のポケットにとびこんだ。みおは思わずキャッとさけび声をあげ、近くにすわっていた女の人ににらまれてしまった。
「ごめん、ごめん。チャッシュさ。ぼくの使いの精なんだ」と男の子が小声で言った。そしてみおのとなりのいすに腰をおろした。ポケットから小さな生き物が上半身をのり出して、大きなブルーの目でみおを見上げた。つやのある黒くて長い毛におおわれた奇妙な生き物だった。ネコに似ているが、顔つきや前足はサルのようだった。そしていちばんふしぎなのは、背中にコウモリのような羽がはえていることだった。みおは、こんな生き物は見たことも聞いたこともなかった。
 しかし、その男の子が言ったことはもっとみおをびっくりさせた。
「ぼく、カイア。魔法の国から来たんだ」
 その目はうそをついているようには見えなかったし、ふしぎな本や羽のはえた黒ネコのような生き物を見たあとでは、なおさら本当のように思えた。
 カイアの話はこうだった。
 みおが住んでいるこの世界で電気や機械を使っていろいろなことをするのと同じように、カイアの世界では魔法を使っていろいろなことをするのだという。カイアはその魔法の国で、魔法使いの学校にかよっている生徒だった。魔法使いはみんな、魔法の手伝いをさせるのに、チャッシュのような『使いの精』とよばれるペットを一匹ずつ飼っているそうだ。ところがけさ、カイアが魔法の宿題をやっているときに、呪文をまちがえてしまって、そのせいで使いの精のチャッシュをこの世界へとばしてしまったのだ。使いの精は魔法の国の食べ物しか食べられないので、今日中につれかえらないと死んでしまうのだという。それでカイアも魔法でこの世界へやって来て、半日がかりでさがしまわって、この近くの公園でやっとみつけたのだった。
「だけど、帰るときは魔法を使うわけにはいかないのさ。この世界では魔法は働かないんだよ」とカイアが言った。
「それならどうやって魔法の国に帰るの」とみおがきいた。
「こちらの世界とぼくたちの世界を行ったり来たりしている乗り物があるんだよ。その乗り物はバスのこともあるし、地下鉄のこともある。遊園地のメリーゴーランドのことだってある。きまっていないんだよ。発車の時間もそのときによってちがう。だからその本が必要なんだ。発車の場所や時間を見るのにね」
「わかった。この本は時刻表みたいなものなのね」とみおが言った。
「そう。いいかい。今日はぼくたちのカレンダーでは魚の月三十五日青曜日だから、このページだ」そう言ってカイアがあるページをあけた。そして色とりどりの音符がおどる楽譜のような模様の上を指でたどっていった。
「これは、時間や場所や乗り物の種類をあらわす記号なんだよ。いま何時だい」とカイアがきいた。
 みおは腕時計を見て、時間をおしえた。それを聞いて、カイアの顔がこわばった。
「たいへんだ。もうすぐ、今日最後の魔法の国行きが出てしまう。これに乗りおくれたらチャッシュがおなかをすかせて死んでしまうよ。急がなくっちゃ」
 カイアの上着のポケットからチャッシュが顔を出して、小さい声でキキーッとないた。カイアはそれをポケットの中におしこむと、いすから立ち上がった。
「待って。わたしも行くわ」みおは本をとじると、急いで本棚にもどし、カイアのあとを追った。図書館を出たところでやっと追いついたみおは、走りながらたずねた。
「その最終便が発車する場所はどこなの」
「この近くにあるビルの一階なんだ」
 カイアは足を速めた。みおはひきはなされないよう必死になってついていった。
 十階建てのビルの裏手でカイアは立ちどまった。目のまえに従業員用の出入口があった。あたりにはだれもいない。カイアはゆっくりはいっていった。みおもあとにつづいた。はいるとすぐ左側に従業員専用のエレベーターがあった。
「今日の最終便はこのエレベーターなんだ。さっきの時刻表によると、行き先はつごうのいいことに魔法の国のピモアの花畑なんだ。ピモアっていうのはバニラに似たかおりのする、うす黄色の花で、チャッシュの大好物なのさ」そう言ってカイアはニコッとわらった。
 ボタンをおしてもいないのに、エレベーターのドアがスウッとあいた。カイアはためらわずに乗りこむと、みおのほうに向きなおった。チャッシュがポケットの中からはい出してきて、カイアの肩にのり、キキーッとないた。みおとカイアの目があった。
「それじゃあ、ここでお別れだ」とカイアが言った。
「さよなら」みおはかるく右手を上げた。
 エレベーターのドアがしまった。階を知らせるランプが一階から二階に移り、それからフッと消えた。みおは息をのんだ。しかし、すぐにまた二階のランプがつき、一階におりてきた。
 みおの目のまえでエレベーターのドアがひらき、あまいバニラのかおりだけがただよい出てきた。そのかおりのむこうに、みおはどこまでもつづくうす黄色の花畑を見たような気がした。
              □おわり□

【初出】横須賀基督教社会館 幼児グループ
    うさぎぐみ卒園文集『おもいで』
    No.13(1986/03)

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