■悪魔とジャニス■

 春! 花は咲き、鳥は歌い――なんていうと月並ですけど、アメリカはニューイングランドの、この小さな町にも、さわやかな春のそよ風は吹きわたっています。それなのに、ジャニスは背中をまるめて、さえない顔で歩道を歩いていました。彼女は十七歳――並木の若芽にも心を躍らせる年頃です。しかし、今のジャニスには、プラタナスの梢に光る春のきらめきも、道の片端でせわしげに動いているアリの行列も目にはいりません。理由は簡単。ジャニスは恋に悩んでいるのです。相手は、いつも通学途中のバスで会う大学生。どことなくジェームズ・ディーンに似た、翳のある横顔。マドラス・チェックのシャツにバルキー・セーターのアイビー・スタイルがきまっています。いつも、分厚い本を何冊もこわきにかかえて、バスに乗りこんできます。
 毎朝会うたびに、ジャニスは気のあるそぶりを見せようとするのですが、相手はまったく知らん顔。だから、ジャニスは毎晩、鏡とニラメッコして、自分はそんなに魅力がないのだろうかと、右を向いたり左をみたり、笑ったり、ふくれたり、ウインクしてみたり……。美人にはほど遠いかもしれないけど、かわいい顔してると思うんだけどナーと、自分で自分を納得させてから、ベッドにもぐりこみます。
 彼をみそめてからもう一ヶ月たつのに、なんの成果もナシ。名前すらわからないのです。だからジャニスは、背中をまるめて、さえない顔で歩いているのです。
 気が晴れないとき彼女の行く場所は決まっています。骨董品屋のトムソンさんのお店です。そこで、ご主人と話しながら、店のすみっこでホコリやクモの巣だらけになっているガラクタの山をひっかきまわしていると、不思議と心が安らいでくるのです。きっと、そういった古い物には、今みたいにこせこせしていない静かな時代の人たちの心が宿っているからでしょう。
 ジャニスは、トムソンさんにからかわれないように、沈んだ顔をむりやり笑顔ととりかえてから、骨董品店のなかに飛びこみました。でも、おじさんは長年お客や品物を見て目が肥えているので、すぐ見やぶられてしまいました。
「おや、ジャニス。なにか悩みごとでもあるらしいな。さしずめ、胸にキューピッドの矢がささって困っている、といったところだろう」
 ズバリ的中です。ジャニスには返す言葉もありません。ちょっぴりシャクにさわるので、わざとトムソンさんを無視して、鼻唄をうたいながら、いつものように、店の薄暗いすみをひっくりかえしはじめました。ネジのさびついたオルゴールだとか、黒光りしているコーヒー豆ひきだとか、古めかしいタイプライターだとか、マリア様の絵が入った小さな額縁だとか……。
「どうだい、こいつは。恋の指輪だぞ。これをはめていれば、かならず相手の心が射止められるというしろものだ」とトムソンさんがうしろから声をかけます。
「そんなものお薬の効能書と同じで、ききめないに決まってるわ。アッ、それよりこれのほうがいいわ」
 そう言って、ジャニスは骨董品の山のなかから、奇妙な首飾りをひっぱり出しました。それは、前にグロテスクな木彫りの顔がぶらさがった、黒い鎖の首飾りです。
「ああ、そいつかね。何年前だったかな。見慣れないユダヤ人の爺さんが、買ってくれといって、そこいらに置いてあるガラクタといっしょに持ってきたもんだ。なにかいわくのある首飾りだと言っておったが、もう昔のことなんで、忘れちまった。ほしかったら持っていきな。どうせ置いといたって売れやしないんだから。そんなもんで、ジャニスのふさぎの虫が退散するんだったら、安いもんさ」
 ジャニスは大喜びでそれを首にかけると、トムソンさんにお礼をいって、店から飛び出しました。へんてこな首飾りですけど、木彫りの顔がどことなくユーモラスで、ニラメッコするだけで、なんとなくハッピーになってしまうのです。片思いの憂鬱は、どこかに吹きとんでしまいました。

 その晩、ジャニスはもう鏡の中の自分と向かいあってなどいませんでした。パジャマ姿でベッドの上にお行儀悪くあぐらをかいて、ニラメッコしている相手は、例の木彫りの首飾り。結局、ジャニスがふきだしてしまって、ゲームセット。それではオヤスミナサイと彼女がユーモラスな顔にそっとキスしたとたん、目の前のふとんの上に、赤い煙がいきおいよくわきあがりました。煙の消えたあとには、異様な人影がありました。あたりにはイオウのにおいが漂っています。
 ジャニスは飛びあがらんばかりに驚きました。目の前に出現したのは、どうみても人間ではありません。体は真黒で全身うろこにおおわれ、耳の先端はとがり、口は耳まで裂けて、鋭い歯がのぞいています。おまけに先がヤリのようにとがった長いしっぽがあるのです。
「あ、あなたは……」ジャニスは、なんとか声をしぼり出しました。
「人は俺を悪魔と呼ぶ。ところで、なんの用だね――俺を呼び出して。用がないなんて言わせないぜ。その魔法の首飾りにキスしたんだからな」
「あら、これにキスすれば悪魔が呼び出せるなんて、わたし知らなかったわ。なんの用だってきかれても、困ってしまう」
「用がないのに呼ばれると、俺のほうも困るんだ。ちょうど、煙突掃除夫が苦労して高い煙突のてっぺんにのぼったのに、煙突のなかにはススがつまってなかったようなもんさ。なにか望みはないのか。その首飾りを手に入れるのは、かならず不満のあるやつなんだ。おまえは、どんなきっかけで、それを手に入れた?」
「ええと、そうだわ! わたし、あの、片思いしているの。それで憂鬱だったもんだから――」ジャニスが最後まで言いおわるのを待たず、悪魔は言葉をはさみました。
「なぜそれをはやく言わん。恋の悩みなら、俺の得意とする分野だ。こうみえてても、俺は悪魔大学の恋愛講座で二学期続けて〈優〉をとったんだぞ。相手は?――いや、いや、言わんでもいい。そんなことぐらい、魔法で調べればすぐわかる。それより、これにサインしてくれ」そう言って、悪魔は何もない空中に手をのばし、手品みたいにヒョイと紙のようなものを取り出しました。よく見ると紙ではなく、昔、紙のかわりに使われていた羊皮紙というもので、その上に黒々となにか書かれています。
「契約書だ。もし望みをかなえたら、その代償として、おまえの魂をゆずりわたすという条件だ」
「これ何語で書いてあるの――ラテン語? 英語じゃなきゃ、わからないわ。それに、

魂を売りわたすなんて、いやよ」とジャニス。
「困ったな。悪魔の仕事の代償は魂と、昔から相場が決まっているんだ。神様がそう定めたんだから、しかたないさ。フーム。それでは、こうしよう。魂はおまえが不要になりしだい引き取りにくる、ということで妥協しよう。ちょっと、そこのタイプライターを貸してくれ」
 ジャニスが言われるままに、机の上からタイプライターを持ってきてわたすと、悪魔はあぐらをかいた膝の上にそれをのせ、宙から紙を一枚とり出してはさみました。そして、慣れた手つきで、タイプライターのキーを打ちはじめました。悪魔とタイプライターというとりあわせが、なんだか大統領とチョコレートパフェみたいに不釣合で、ジャニスは思わずふきだしそうになりました。
「そら、これでどうだ」そう言って、悪魔はタイプしおわった紙をジャニスにわたしました。それには英語で、望みをかなえるかわりに魂をゆずりわたす――ただし、魂の譲渡は所有者が不要になりしだいで結構――というようなことが記載されていました。
「OKだったら、サインしてくれ。お互いに不利な契約だとは思わんが――おまえは望みがかなうし、おれは仕事にありつける」
 ジャニスもそう思ったので、かたわらのナイトテーブルのひきだしからボールペンを取り出してサインしました。それを受け取った悪魔は、自分でもサインすると、「契約完了。久しぶりの仕事だ。腕がなるぜ」とひとりごとを言って、パッと姿を消してしまいました。あとに残ったジャニスは、呆然として、悪魔がいままでいた場所を見つめていました。
「嘘みたい――悪魔が実在するなんて。幻覚だったのかしら。でも、まだお部屋にイオウのにおいが残っているから、本当なのね。明日が楽しみだわ。悪魔さんのお手並み拝見というところネ」

 翌朝、バス停で並んでバスを待つジャニスは、そわそわおちつきません。バスに乗ってからは、心臓がドッキンドッキンしはじめました。彼が乗りこんでくるバス停に近づいてくると、もう早鐘みたいにドキドキ・ドキドキ。乗車口からいつものように本をいっぱいかかえた彼が乗ってくると、思わず知らず、顔が赤くなってしまいました。でも、まだ向こうはジャニスの存在に気づいていません。
 バスが動き出しました。しばらくして、バスが十字路を曲がろうとしたとき、彼がうしろからだれかにつきとばされたかのように、ジャニスのほうによろめきました。その拍子に、かかえていた五、六冊の本がバスの床に飛び散りました。ジャニスは、チャンス到来とばかりにかがんで、彼が本を拾い集めるのを手伝ってあげました。ふと自分の右手を見ると、いつのまにかハンカチをにぎっています。自分のものですけど、取り出したおぼえはありません。ジャニスは納得したというようにニコッとほほえむと、泥でよごれた本を、それでふいてあげました。彼のほうは、ジャニスを見て一瞬びっくりしましたが、すぐ笑顔になり、「サンキュー」と言いました。ジャニスも、どういたしまして、という笑顔を返しました。
 彼女は知っていました。彼をつきとばした人なんて、うしろにいなかったんです。それに、ハンカチを取り出したのもジャニス自身ではなかったんです。かすかなイオウのにおいがあたりに漂っていましたが、だれもそれに気づいたようすはありません。
「ハンカチ、よごしちゃったね。悪いナ」と彼が言いました。
「いいのよ。どうせ安物ですもの」ジャニスはどぎまぎしながら返答をかえしました。まわりの人の目が気になって、顔が真赤になっているのがわかりました。それで、自分の降りるバス停に着いたときには、ホッとしました。降りぎわにちらっと彼のほうを見ると、軽く手をあげて微笑みを送ってきました。
 その日一日、ジャニスはうれしくて、授業もろくに耳に入りませんでした。
 そして放課後。ジャニスがクラスメイトとふざけあいながら校門の近くまで来たとき、親友のアンがひじでジャニスの脇腹をつっついて言いました。
「見て。門のところにいる人。すてきネ。だれを待っているのかしら」
 言われた方を見て、ジャニスはびっくりしました。彼なのです。向こうもジャニスに気づいたようです。彼女が近づくのを待っています。
「ハロー」と彼のほうから声をかけてきました。「きみを待ってたんだ。今朝、ハンカチよごしちゃったから、これ代りに――」そう言って、レースの縁取りのついた真新しいハンカチをさし出しました。
「でも、悪いワ。そんな……」ジャニスがややうろたえぎみでいると、いっしょにいたクラスメイトたちは気をきかして、「じゃあネ」と言って先に帰っていきました。振りかえった視線が、羨望と嫉妬に満ちています。
 校門を出たふたりは、肩を並べて歩きながら、ぽつりぽつりと話をはじめました。彼の名前がマイケルだということや、ハーバード大学の二年生だということを、彼女は知りました。かくて、あとは恋愛小説そのままの、お決まりの筋書き――お茶に誘われ、デートを重ね、電話でオヤスミを言う仲になり、そして初めての口づけ……。くわしく書くまでもありません。

 ところが、これで話が終わったわけではないのです。
 ある晩、ジャニスがナイトテーブルの上のマイケルの写真に「おやすみ」とつぶやいて、ふとんにもぐりこもうとしたとき、突如、ベッドと天井のあいだの空間に赤い煙がわきあがりました。彼女はふとんをはねのけて起きあがりました。煙が晴れると、あの悪魔が空中にあぐらをかいて座っています。上の方から、悪魔はニヤリと無気味な笑いを浮かべて言いました。
「どうだい、俺の手ぎわは。彼との仲はうまくいっただろう。望みをかなえてやったんだから、そろそろ魂をもらい受けてもよかろう」
「そんな! それは魂が不要になったら、という条件だったじゃない。契約違反よ!」
 悪魔はもう一度、無気味に笑うと、空中から例の契約書を取り出して、彼女の目の前でヒラヒラさせました。なんということでしょう。契約書からは、『魂は不要になりしだい譲渡』という意味の項目は消え、代りに『魂は、望みをかなえた側の欲する時に譲渡』という一文が入っています。
「無知ってえのは致命的だな。悪魔の力がおよばない紙は羊皮紙だけで、ふつうの紙に書かれた文章なんて、魔法でいくらでも変えられるのさ。まあ、おまえの無知に免じて、あと一週間だけ延ばしてやろう。せいぜい残りすくない人生を楽しむんだな。一週間したらかならず迎えにくるからな。あばよ」
 そう言い残して、空中から悪魔の姿は消え去りました。

 ジャニスは奈落の底につきおとされたような気分になりました。――いえ、1週間後には実際にこの世界から奈落の底へと連れていかれるのです。彼女は罠にかかったのです。どうあがいてみても、彼女のひ弱な力でそれに抵抗することなんて、できそうにありません。かといって、マイケルの助けを借りても同じことでしょう。第一、彼に悪魔の存在を信じさせるなんて、できないに決まってます。
 彼女は、ほとんどまんじりともせずに一夜を明かしました。そしてもちろん、その日一日の授業はうわのそらでした。学校がひけると、絶望にうちひしがれたジャニスは、いつのまにかまた、トムソンさんのお店へ足を向けていました。
 店のなかにフラリと入ってゆくと、トムソンさんがジャニスに気づいて、ニッコリ笑いました。彼女もむりやり笑顔をつくろうとしましたが、うまくいきません。
「どうした、ジャニス。ボーイフレンドと喧嘩したのか。それとも試験の成績が悪かったのかな。いやそうじゃないな。その顔は、この世の終わりだという顔だぞ。ハッハッハ」
 トムソンさんは冗談のつもりで言ったのでしょうけど、まさにズバリ的中です。彼女は生返事をかえして、またガラクタの山をくずしにかかりました。その場所は、先日あの首飾りをみつけたあたりです。なんの気なしに、この間見た小さな額縁入りの聖母マリア像に手を触れた彼女は、神にも祈りたい気持ちになって、それをガラクタのなかから引っぱり出しました。その拍子に、ゆるんでいた額縁の裏のおさえ板がパラッと落ちました。それといっしょに、小さく折りたたんだ古い羊皮紙がおちました。なんだろうと思って、ジャニスはそれを拾いあげ、広げてみました。一目見て、彼女の顔がパッと明るくなりました。黄ばんだ羊皮紙の左上に、あの首飾りの絵が描かれていて、その右にこう記されていたのです。
――〈ユダの首飾り〉を持つ者、次の三つの事を心にとめよ――
 そして、その下にはこう書かれています。
――悪魔は〈ユダの首飾り〉が聖なるものに触れるのに耐えることができない。悪魔は〈ソロモンの封印〉を破ることができない。悪魔は羊皮紙に記された契約を破ることができない――
 これは、あの首飾りを持つ人への注意書なのです。ジャニスの頭に一計が浮かびました。羊皮紙を折りたたんで、そっとポケットにしまいこんだ彼女は、晴ればれとした顔で立ちあがりました。そして、トムソンさんに頼んで、必要なものを二つ三つ取りそろえてもらいました。
 その日、マイケルとのデートを早目に切りあげた彼女は、家に帰ると、自分の部屋にひきこもりました。
 ジャニスはまず、カーペットを巻いて部屋のすみにかたづけました。そして床の上にチョークで、三角形を逆向きに二つ組合わせた星形を大きく描きました。これが、昔から〈ソロモンの封印〉とよばれている魔法の印です。次に、あらかじめ必要な事柄を書いておいた羊皮紙をその中に置きます。それから、すこし離れた床の上にクッションを置いて、そこに陣取りました。手には〈ユダの首飾り〉と聖書をもっています。これで準備完了。
 ジャニスは深呼吸してから、首飾りにキスしました。赤い煙がわきあがり、〈ソロモンの封印〉のなかに悪魔が出現しました。
「おや、おや。そちらからお呼び出しとは。なんのご用ですかな。一週間も待てない、はやく魂を地獄にいざなってくれ、とでもおっしゃるのかな」と悪魔。床の印に気づいて、ちょっといやな顔をしました。悪魔はこの印から外へは踏み出せないのです。
「いいえ。新しい契約をしたいのよ。この間の契約書を燃やしちゃって、そこにある契約書にサインしていただけないかしら」
 悪魔はかたわらの羊皮紙を取りあげて、目を通しました。
「これはなにかの冗談かな。おまえとマイケルおよびその家族に、直接間接を問わず、危害を加えないこと、だと。また、その全員が天寿をまっとうできるよう、あらゆる危難を排除すること、だと。おれの魔力を――」
 そこまで言いかけて、悪魔は突然悲鳴をあげ、両手で頭をかかえこみました。
「さあ、サインするの、しないの」とジャニス。彼女の手には聖書がにぎられ、例の首飾りがそのページのあいだにはさまれています。これが悪魔に苦痛を与えているのです。
「サ、サインする。前の契約書も燃やす。だから、そ、その首飾りを、聖書にはさまんでくれ。お願いだ」そう言いながら、悪魔は〈ソロモンの封印〉のなかで、苦痛に耐えきれずころげまわりました。ジャニスが首飾りを聖書から引っぱり出すと、やっと苦痛から解放されました。悪魔が空中から前の契約書を取り出して、パチンと指を鳴らすと、契約書に火がついて、あっというまに灰になってしまいました。それからインク壷を宙から取り出し、とがったしっぽの先をそれに浸して、新しい契約書にしぶしぶサインしました。悪魔が投げてよこしたその羊皮紙に目を通すと、ジャニスは満足げにうなずきました。

 春の雨が降っています。
 ジャニスとマイケルは一つの傘に肩をよせあい、黙って歩いていました。ふたりのあいだには、言葉なんていらないのです。黙っていつまでも歩いているだけで――。その時、不意に曲がり角から車が飛び出してきました。ブレーキのきしむ音が、濡れた空気を切り裂きます。ハンドルをきってふたりをかわそうとしますが、タイヤがスリップしてそのまま――と思われた瞬間、車は唐突にぴたっと止まりました。
 運転手が窓から首を出して「すみません、急いでるもんで」と言うと、車はまた動き出しました。
「危なかったな。しかし、よく止まったもんだ」走り去ってゆく車を見ながら、マイケルが言いました。
「そうね」とジャニスは答え、ほのかな笑いを浮かべました。そして考えました。――『あらゆる危難を排除する』という一文を含んだ羊皮紙の契約書と、悪魔の弱みである〈ユダの首飾り〉を入れて蓋に〈ソロモンの封印〉を刻んだ、あの壷のことを、彼に話してあげようかしら。お部屋の押入れの奥から引っぱり出して、見せてあげようかしら、と。でも結局やめにしました。信じてくれないにきまっています。
「今、変なにおいがしなかったかい。イオウのにおいみたいな……」マイケルが鼻をぴくつかせながらききました。
「そう? 気づかなかったわ」ジャニスはそこでちょっと言葉を切ってから、空を見あげて言いました。「雨があがりそうね。ホラ、青空が見えてきたわ」
              □おわり□

【初出】タウン誌『BILL』No.3(1975/4/1)

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