【エッセイ】
姿見の表と裏

G・K・チェスタトン
さとう@Babelkund訳

 ひとはよく比較するのはいやらしいことだというが、いったいだれがそのわけを知っていよう。理論上は、比較は程度や品質を調べる唯一の方法である。たとえば動物学者が、「キリンはゾウより背が高いが、それほどずんぐりしていない」と言うことが、正確で網羅的なキリンの叙述であると考えるときのように。このどこにも、いやらしさを表すようなところはない――これによって彼が野生のゾウに対して残酷だとか、自分のキリンを過度に甘やかしているということを示しているわけではない。しかし、自然から人間性に目を転じると、比較することはつねに、貶しているように聞こえる。その理由は、こうではないだろうか。ある原因(たぶん原罪)のゆえに、わたしたちは罵りの言葉を多種多様に持っているのに比べて、褒める言葉をごくわずかしか持っていないからなのだ。不愉快な学者や知識人を衒学者だとか学者先生と呼ぶことができるが、好ましい学者や知識人を表すような特別の言葉を持ちあわせていない。社交界のいかがわしい人物を俗物と呼ぶことができるが、正しい人物を表すための特別な呼称を持っていない。かくて、われわれは自分の友人たちを「いい人」と呼ぶような、ぞっとする不可避の道に追い込まれるわけである。想像して欲しい。ジョンソン博士を「いい人」と呼び、フォックス氏を「いい人」と呼び、ネルソン氏を「いい人」と呼ぶことを。それでは生き生きした変化に富む人物像を描写していない。
 私はあるふたりに関する二冊の本を交互に読んできた。そのふたりはともに「すばらし」かったし、彼らの作品はともに「すばらし」かった。そのふたりは十九世紀の偉大な児童物語作家である。彼らはまたどの点をとっても比べうる限りお互いにまったく正反対だった。しかし、もし私が彼らの両方を「すばらしい」と呼ぶ以上のことをして、ふたりを比較しようとしたり、ふたりがどんな人物かと言ったりしたら、確実に私が一方を褒め、もう一方を貶しているかのように聞こえることだろう。これは単に、わたしたちが賞賛するのに非難するときほどに変化をつけることができないからなのだ。このふたりの一方は、チェールズ・ドッドソンである。一般にはルイス・キャロルとして知られており、オックスフォードの学監であり、正真正銘ヴィクトリア朝英国の聖職者であった。そしてもう一方は、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。風変わり気まぐれで空想好きなデンマークの農民であり、不滅の物語の作者だった。
 私がルイス・キャロルを正真正銘のヴィクトリア朝の人と言うと、非難のように聞こえることだろう。非難と同じ程度に賞賛と受け取れてもよさそうなものだが――ただ、ヴィクトリア朝英国の良いところにぴったりの言葉をみつけるのは、悪いところよりもずっとむずかしい。もし私が、学監ドッドソンは伝統を重んじるとか安心感を与えるとか尊敬に値するとか言って、農民アンデルセンと比較したら、これらの言葉は好意的でないものに聞こえるだろう。だがそれは、伝統的なことや安心できることにしばしば付随している真に好意的な事柄を表す、好意的な言葉がないからだけなのだ。
 ヴィクトリア時代を伝統的を重んじるとか安心感を与えるとかいう言葉だけでかたづけてしまい、その時代がこの上なく奔放で、この上なく純粋な新しい種類の詩を生み出したという事実を忘れてしまうのはひどく愚かなことだ。それはこれまで世の中に現れたことはなく、二度と現れないかもしれない純粋なノンセンスの詩だった。ルイス・キャロルはその唯一の例ではない。エドワード・リアはもっとよい例だろう。それから、子供たちが少なくとも同じぐらい好きなジャッジ・パリーの『カタワンパス』やその他の物語を挙げておこう。ルイス・キャロルが子供たちに宛てた手紙は、彼が子供たちを愛していたということだけでなく、子供たちも彼を愛していたことを証明している。それにもかかわらず、私が信じているのは、彼の知的な取り組みは、大人を対象としているということだ。ルイス・キャロルのどこをとっても、彼自身が論理ゲームと呼んだことの一部なのだ。ともかく、論理をゲームと考えることはまさにヴィクトリア朝的特徴だ。ヴィクトリア朝の人は、良い論理に身を委ねるための、ありえない楽園のようなものを発明しなければならなかった。真面目な事柄に関しては、彼らは悪い論理を好んでいた。これは逆説的ではない。というより、どの道その逆説を作り出したのは彼ら自身なのだ。マコーレー(訳注 英国の小説家)やバジョット(訳注 英国のジャーナリスト)やヴィクトリア朝の教師たちはみな、彼らに英国憲法は非論理的であるべきだ――彼らは実践的と呼んでいたが――と教えたのだ。偉大なる選挙法改正案を読んでみたまえ。それから『不思議の国のアリス』を読んでみるといい――あなたは『不思議の国のアリス』との類似性に衝撃を受けるだろう。論理的であるために、彼らは妖精の国へ行かなければならなかった。それゆえに私が推測しているのは、ルイス・キャロルの最高の作品はひとりの男から子供たちに向けて書かれたものでなく、ひとりの学監から学監たちに向けて書かれたものだということだ。最もみごとな一撃は、数学的なだけでなく、また成熟したものだ。次に示すひとつの完璧な文章に基づけば、ただの相対論の異論に対して十指に余る講義が行えるだろう。即ち「私が見たことのある丘と比べたら、そんなもの谷みたいなものだ」(訳注 『鏡の国のアリス』の赤の女王の言葉から引いている)。
 しかし、彼が物語を書いてあげた少女たちは相対論的な懐疑論に悩まされたのではないかと問われるかもしれない。まあ、どうあれ、これはルイス・キャロルの栄誉の一部である。彼は子供たちに知的な逆立ちをすることを教えていたばかりでなく、また学監たちにも逆立ちすることを教えていたのだ。知的な逆立ちをすることは、良い頭のテストだ。ヴィクトリア朝の人たちが休暇をとりたいとき、彼らはそれを作った。真の知的な休暇をとったのだ。彼らはひとつの世界を創造した。少なくとも私からみたら、それもまた奇妙な我が家のようなものだが。それは秘密の休暇であり、別のお伽噺では恐ろしい怪物たちがそこではペットに変えられてしまうような世界だった。彼らからその世界の輝きを奪うものは何もないだろう。それはノンセンスのためのノンセンスだった。この魔法の鏡がどこで見つかったのか尋ねたら、答えはこうだ。それはまさに詰め物をしたヴィクトリア朝の家具のあいだで見つかったのだと。言い方をかえると、それはドッドソンとオックスフォードと英国が、その時点でとても安心で安全であったという歴史的な巡り合わせのおかげであった。人々はいかなる戦いもないと

いうことを承知していた。あるのは党制度だけだ。その下でトウィードルダムとトウィードルディーは闘争することに同意した。その闘争は同意よりもずっと明白さに欠けていたが。人々は自分たちの英国が侵略や革命を目の当たりにすることはありえないと承知していた。人々は国が商業によって豊かになっていることを承知していた。人々は農業が衰退しつつあることに気づいていなかった。たぶん、すでに衰退してしまっており、農民がいなかったからなのだろう。
 人々は子供たちを愛するもうひとりの偉大な人物の中に、正反対のものを見出した。彼についての物語は、サイン・トクスヴィグの著書『ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生涯』の中で見事に語られている。ハンス・アンデルセンは彼自身農民であり、現在も農業国である国に生まれた。あまたの方法で、ハンス・アンデルセンは、ヴィクトリア朝のクッションをほどこされた応接間で世間から隔てられた学監とは正反対の事柄を表現した。ハンスは、吹きつける風すべてを招き入れた。自分の農場にいる農民のように、そして欧州の戦場にいる農民のように。彼は、痛ましく貪欲な野心らしきものを胸いっぱいに抱いて、とにかく成長した。それはオックスフォードの学監たちが見せることのないような野心だった。彼はあらゆる現実を経験した。自分自身の弱点や自分自身の欲望も含めて。彼は数えきれないほどのことをやった。馬鹿げたこともやった。それはドッドソン氏だったら問題外だと考えるようなことだった。だが、彼は農民だったので、それなりの代償はあった。神秘と魔法に関して、彼は大地の広大な伝統と共鳴を保っていた――彼は三角形や三段論法から、新しい、どちらかというと人工的なたぐいのお伽噺を作らなくてもよかった。
 ハンス・アンデルセンは子供たちに愛されるおじさんというだけでなく、彼も子供であった。彼は我々キリスト教徒の歴史の偉大な子供たちと同じ、阻害された発育という神の恩寵を受けた子供のひとりだった。彼の欠点は子供の欠点であり、それがまさに彼を悩ませる欠点だったのだ。この本を読んだ大人たちはなぜハンス・アンデルセンを愛するのだろうか。答えはこうだ。世界でもっとも愛すべきことは謙虚さだからだ。ところで、ハンス・アンデルセンは大きな虚栄心を持っていたが、それは謙虚さの上に成り立っていた。現代の心理学者がその組み合わせを劣等感と呼んできたことは承知している――しかし、虚栄心を隠さない人間には、常に謙虚さの要素はあるものだ。
 貧しいハンス・アンデルセンほどにそれを恥も外聞もなくさらけだした者はいなかった。しかし、ここで私が意図しているのは、ただこの二つの対照的なタイプによって喚起されるような考えを浮かび上がらせることだけなのだ。どちらもお伽噺の古典として決して忘れられることはないと思っている。両者は多くの模倣者を生み出した。私がハンス・アンデルセンのほうがずっと偉大だと言っているのだと誤解して欲しくない。なぜなら彼自身、模倣者だったのだから。その偉大な農民、その偉大な散文の詩人は、ヴィクトリア朝の人が失ってしまった農民の特質を持っていた――生活のありふれた素材に対する古い神秘的感覚だ。ハンス・アンデルセンは姿見のこちら側で、アリスがあちら側で見つけたよりも多くのことを見つけたのだろう。向こう側には不思議で数学的な鏡像がある。しかし、どうして姿見の向こう側に行かなければならないのだ。こちらに残された家具すべてが、すべての椅子とテーブルが妖精たちによって命を吹き込まれるかもしれないというのに。
 私の比較はいやらしいものになってきた。それは、言葉での賞賛に多様性がないからだ。区別は軽視のように聞こえる。どちらがよいのだろう。現代世界の濃密な商業的確実性の中から知的ノンセンスの奔放で新しいワインや蜂蜜を精製したことか。それとも過去に生み出された一般大衆の想像力の大きく素晴らしいその蓄積を広げて、独創的な色合いを加えて、ほんとうは民間伝承である偉大なお伽噺をもう一度作ったことか。私に分かっているのは、もし私からどちらかを取り上げようとしたら一騒動おきるだろうということだけだ。

〔解説〕
G・K・チェスタトン(一八七四〜一九三六)によるこのエッセイは英国BBC発行の週刊誌The Listener に発表されたもので、その後、単行本未収録エッセイを集めたThe Spice of Life に再録されました。

チェスタトンがキャロルを論じたエッセイにはほかに以下の二篇があり、併せて読まれることをお勧めします。











Both Sides of the Looking-Glass
The Listener, November 29, 1933
Chesterton, G. K. The Spice of Life and Other Essays, ed. by Dorothy Collins, Darwen Finlayson, Beaconsfield, 1964

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