氏家六郎の平凡な日常 卯の頁

  兎を追うな

 民俗学者・氏家六郎は自宅の庭の一角に家庭菜園を作り、いまはニンジンを育てていたが、昨日、動物にかじられたあとを見つけた。土に残った足跡からどうやら兎のようだった。そこで今朝は早くから植え込みの陰に隠れて菜園を見張っていた。すると案の定、草をかきわけて白兎が飛び出してきた。だが今日はニンジンに目もくれなかった。それより奇妙なのは兎がベストのような服を着ていたことだ。近所の家兎で、ペット用の防寒着を着せているのだろうか。飼い主が探しているかもしれないと思い、捕まえようとしてそっと近づいたが、兎は気づいて走り出した。走りながら「おくれちゃう、おくれちゃう」と鳴いているような声が聞こえた。追っていくと、近くの空き地に逃げ込み、隅に積んであった土管の中に飛び込んだ。氏家もそのあとを追って飛び込み、四つんばいになって進んだ。反対側の口に出たと思った瞬間、足元に空いた穴に転げ落ちた。さいわい穴の深さは五十センチぐらいだったので自力で這い出し、泥を払いながら立ち上がると、目の前にくだんの兎を抱いた女性が立っていた。
「ごめんなさい。うちの子がご迷惑をかけて。あらかじめ穴を掘っておくなんてやりすぎよね」
「その兎が追いかけられるのを予期して自分で掘っておいたんですか?」
「そう。今日は《不思議の国のアリス》モードだったみたい。」
「なんで、兎にそんなモードが?」と氏家。
「この子、いま話題になっているペット・ロボットの『まねっこ兎』なの。いろんな兎の真似をするのよ。ミフィーとか、サンリオのマイメロディとか。アニメのバッグス・バニーの真似もできるし。それに合わせて外観も変わるの。ねえ、ピーター!」
 そう呼ばれると、兎の毛色が《ピーターラビット》の茶色に変わった。それで昨日はニンジンをかじられたのかと氏家は納得した。
「でも、扱いに気を付けないとひどい目にあうの。飼い主がいじめられるとその相手に仕返しするそうだから。《かちかち山》モードっていうので」

  【初出】謹賀新聞 第三四号(2023年1月1日発行)

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