ちょっと怖い 動物三題

 桜の樹の下には

 月の光がまぶしい夜、公園のベンチで夜空をながめていると、白いイヌを連れた老人がやってきて、となりに腰をおろした。大のイヌ好きの僕は、 じゃれつくイヌの頭をなでながら老人と話をした。そのうち老人が、少しこのイヌを散歩させてみないかと言い出した。
 その申し出を受けた僕は、引き紐をもって公園の中をぶらぶら歩いた。ふいにイヌが道のわきの桜の樹の根元を掘り始めた。土の中から出てきたものは、 こんなところに埋まっているはずのないものだった。それは去年の夏、友達と海に行ったとき波にさらわれてもどってこなかったフリスビーだった。 マジックで書いたみんなのいたずら書きに見覚えがある。過ぎし日の思い出にひたっているうちに、それは手の中で銀色の霧となって消えてしまった。
 ベンチにもどってその話をすると、老人はこう言った。「このイヌは思い出を掘り出してくれるのですよ。あなたも私ぐらいの歳になると、 きっとこういうイヌを飼うようになるでしょう。その時のために、今からいい思い出をたくさん作っておくことですね」
 そして、老人とイヌは月の下の白い道を去っていった。

  【初出】謹賀新聞 第七号(1994年1月1日発行)


 夢の牛

俺「毎晩、石段を登ってくる牛の夢を見るんだ。しかも、日ごとに俺に近づいてくるんだ。これって何かの予兆なんだろうか」
辻占い師『牛は幸運の象徴でしょう。それが間近に迫っています』
会社の同僚『ただ、牛肉を腹一杯食いたいと感じてるだけさ』
職場のOL『それってさー、もうすぐ牡牛座の恋人が現れるっていう愛情運を表しているんだと思うなぁ、あたし』
近所の寺の住職『その牛はあなたの仏性を表しています。それを見極めるために精進しなさい』
セラピスト『あなたは、幼児期に牛に関連した精神的外傷を負っていますね、糞を踏んだとか』
学生時代の友人『おまえ誰かに恨み買ってないか。そいつが丑の刻参りをしてるんだぜ、きっと』
       *****
「昨晩ついに夢の中で、牛が俺のいるとこまでたどりついたんだ。そして牛が言うんだ。そんなせかせかした生活を送らないで、 わしのようにのんびりした生き方してみないかって」
『それ、今日の遅刻の言い訳のつもりか。ちょっと苦しいな。ところで、それニキビか? 額にあるその二つのでっぱり』

  【初出】謹賀新聞 第十号(1997年1月1日発行)


 猿の左手

 初めて寄港した港町の酒場で、カウンターの向こうに立つ店の主人はかなりの高齢のようだった。夜も更け、客は俺ひとりだった。
「お客さん、『猿の手』という話をご存知ですか?」主人が話しかけてきた。
「ああ、三つの願いがかなうという猿の手のミイラにまつわる怪談だろ。それを手に入れた老夫婦が大金を願うと、息子が事故で死んで、見舞金が手に入る。 嘆いた夫婦が息子が生き返って戻ってくるよう願うと、外から戸を叩く音がする。あわてて最後の願いをすると、音は消える、という話だったかな」
「実は、あれは猿の右手だったのです。もう一方の猿の左手にまつわる話があります。こちらのほうは、他人に三つの呪いがかけられるというものでしてな。 それをある人が手に入れたそうです」
「そいつはどんな呪いをかけたんだい」
「まず自分をおとしいれた商売がたきを呪い殺し、次に零落した自分を見捨てた恋人を恐ろしい目にあわせたそうです」
「で、三つ目の呪いは?」
「猿の左手には、三つ目の呪いが叶うと自分も命を落とすというきまりがありましてな」
「じゃ、三つ目の呪いはかけなかったのか」
「いえ、かけました。ある奴が仕事をしくじるようにとね」
「それで、呪いをかけた方は死んだのか?」
「こうして生き延びていますよ」老人は親指で自分を指した。「おかげで二百歳を過ぎても私は死ぬことができず、こうして奴と千日手を繰り返しているんですよ。 今もほら、店の隅に潜んで、私の命を刈り取る仕事を終わらせようと狙っているでしょう」そう言って老人が指差した隅に、 俺は確かに、何かおぞましい影のようなものを見たのだった。

  【初出】謹賀新聞 第十六号(2004年1月1日発行)

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