<コーンウォール物語 第五話>
 蟾蜍(ひきがえる)の城
   THE BATTLE OF THE TOADS

デイヴィッド・H・ケラー
さとう@Babelkund訳

 年少のころ、私はアイルランドの僧院で一時期を送り、ラテン語で流暢に読み書き話すことを学んだ。どれひとつをとってもひじょうに大切であるように思えた。その土地を離れた私は遠く東洋へと旅して、アラビアで暮らした。私が出会ったおおぜいの博学な老人たちは、錬金術・呪術・魔術について知っていることすべてを親切に教えてくれた。けっきょくは、恋しさとしか言いあらわしようのない動機で、生地であるアーモリカ(フランス北西部の古代の一地方)の小さな町ウォーリングにもどることになった。
 その地でヒューベレア家の君主、セシル伯父としばらく暮らした。伯父はひとり娘のアンジェリカ姫を失ったことで、まだ悲嘆にくれていた。
「あの子の死は、人ひとりの損失という以上のものなのだよ」と伯父は説明した。「娘が生きておりグストロ侯と結婚して子供をもうけておれば、ヒューベレアの家系は途切れることなく続いたことだろう。おまえの父さんはわしのただひとりの兄弟で、おまえはそのひとり息子だ。おまえは遠国の地を冒険してまわり、おそらくは豊富な知識を身につけてきたことだろうな。わしと一緒に暮らして、わしが死んだらヒューベレア家の君主になるのがよいと思うが。わしらは小さな種族だ。誇りが財産のほとんどを占めておる。だがわしらの一族には、先頭に立ち、身内の者に気を配ってやれる賢い男が必要なのだ。君主になる日にそなえて心構えすることがおまえの本分であるように思えるのだが」
「親切なご配慮ですが、私にはほかに計画があるのです、伯父さん。これまで一族の年寄り幾人もと談じこみましたが、お年寄りたちは口々に、私たちがかつてコーンウォールに堅固な城を構え、その地を統治したことを話します。私の望みはその遠隔の地に赴き、どうにかしてコーンウォールの君主になることです。今のところ、どうすればなしとげられるか見当がつきませんが。若き日の決意があるのですから、どう手を尽してみてもこの計画を変えることはできませんよ」
「おまえの大望がわしには遺憾だが、おそらく神々がこのように進む道を定めたもうたのだろう。だから否とは言わん。代わりに黄金を一袋と、それにわしらの祖先である黄金王レイモンドの息子レイモンドがランディ島から持ってきた羊皮紙を進ぜよう。この羊皮紙には、一族がコーンウォールを逃れたとき城のなかに隠した家宝のありかをしるす図面が描かれている。これらの宝がどんなものか、わしは知らん。幾星霜を重ねる間に、その秘密は失われてしまったのだ。だが、もしおまえが城を見つければそれを捜しだせるかもしれない。それに、おまえをおいてほかに正当な所有権をもつものはおらんからな。されば己れの道を突き進め。そしていつも自分がヒューベレア家の者であることを思いだすのだぞ」

 かくして、しばらくののち小さな漁船に乗りこんでアーモリカを船出した。船長の腕前のおかげか順風のおかげか、ともかくもコーンウォールの岸辺に上陸するに至った。私の馬は飛節内腫にかかっており、老いぼれ痩せ細っている上に片盲というありさまで、船旅がからだにこたえたのか、上陸後一時間もしないうちに死んでしまった。私ほどの体力がある者でも甲胃をまとって徒歩で長い道のりを進むことは不可能であるから、悲惨な心持ちでおおかたのものを木の葉の下に隠し、注意深くその場所に印を残して、機会が許すならば貴重な品々を取りもどせるようにした。それから皮帯に短剣をさして歩きつづけた。かついだ長剣と盾は一足ごとに背中を打ちたたいた。
 二、三時間して疲れはてて腹もへったころ、私は緑の草地のただなかにそびえる大きな城を目のあたりにした。これこそわが一族のいにしえの居城であり、(疑いもなくコーンウォールでは)だれひとり私以上に正当な所有権をもっていないものだと確信した。だが、たいへん驚くべきことに、人が住んでいるのを発見した。僧服を着た奇妙な外見の男が跳ね橋の上に立っていたのだ。あきらかに私を待ちうけている。最初に頭に浮んだのはその男がヒキガエルに似ているということだった。そしてすぐに、ヒューベレアの城に住みつくという無遠慮さに腹立ちを覚えた。私がコーンウォールの君主として統治することになった暁には、その男をただちに追い出してやろうと心に決めた。だが今のところ心中を告げる気はなかった。議論よりもまず、雨露をしのげる所と食べ物と火のそばの暖かい場所とが必要なのだから。
 私の話せる最上のラテン語を使って、私が何者であり何処から来たかをその修道僧に説明し、自分は教養ある者で害意は決してなく、与えてくださる歓待と休養とをせつに求めているのだと話した。男は答えて言った。自分はルソー修道僧で、この城は自分のものである。数世紀前には旧家の居城であったのだが、けっきょく見捨てられたのだ、と。住む人もないこの城を見つけた彼は、数人の友とともに住みついたのだ。男は私をもてなしても害にならないだろうと考えたが、概してよそ者は歓迎されなかった。けっきょく男は私を城に招き入れた。
 たそがれどきで、男の顔は一部頭巾でおおわれ、彼が掲げもった松の木片は炎よりも煙を多く出している。このように、さまざまの理由がかさなって、宴の間に着いてからあとは男の顔を見ることはなかった。広間の片側に据えられた暖炉には火が燃えさかっていた。私をそこに残した男は暗がりに消えると、まもなく骨つき肉と堅パンと一壜のすっぱいブドウ酒を運んでもどってきた。私は美食家の楽しみ方というより空腹から生まれた熱心さで、この宴を満喫した。
 出されたものを食べつくすと(あるじ)に礼を述べた。彼が火のまえに立って痩せた向こう脛とよく動く両手を温めているとき、はじめて彼をはっきりと見た。死人のように白く、青い静脈が一面に太く浮きでた手――飢えたような長い指と切ってない爪とをもつ手――それが私をぞっとさせた。なぜなら、指それ自体が付属している人間とは独立した生あるもののように、当てもなく動いたのだ。そんなことは、これまで人の指を見ても考えたことがなかった。
 しかしそれにもまして不思議で、激しく心を揺り動かしたのは、男の顔だった。もちろんそれは人間の顔だ。私を城に入れ、もてなし、いま火のまえに立って話しだそうとしているのが人間であると言うのはたやすい。かくも親切にもてなしてくれた方がそれ以外のものであると考えるとはおまえは馬鹿者だ、と自分にきびしく言いきかせたのだが、やはり揺れる炎にちらちら照らされたその顔には、じゅうぶん寒気をもよおさせ、首にかけた金の十字架をあわててつかませるだけの何かがあった。なぜなら、男の顔にはヒキガエルを思いおこさせるところがあったのだ。
 血の気のない薄い唇はきつく結ばれ、引っこんだ額と痩せこけた頬の目立つ顔を真一文字に横切っている。肌はさながら羊皮紙のようだ。それもほんのり緑がかった色合いの薄い羊皮紙を思わせる。そして時々、黙想して立ちつくす修道僧が閉じた口のなかに息を吸いこんでその痩せた頬を魚のうきぶくろのようにふくらませると、ますますヒキガエルに見えてくるのだ。
 もちろん自分の考えを表明するようなまねはできなかった。つねに紳士であろうとするキリスト教の騎士は、このように見知らぬ人のもてなしを受けて腹を満たしてから、あなたはなんてヒキガエルに似ているのでしょうと言って恩に報いるようなことはしない。悪気があってそう考えたわけではなく、その考えがほとんど確信に近くなって頭をはなれなかったが、すくなくとも行動に移すことは避けた。
 修道僧はなぜ私がコーンウォールを旅しているか、どこで青年時代を送ったか、旅先でどんな体験をしたかなどとたずねた。これらの質問に対しておおかたは事実どおりに答えたが、自分がヒューベレア家の者で、先祖代々の家の所有権を主張するためにまかりこしたのであり、コーンウォールの君主となった暁には、侵入者とみなされる彼を即刻城からほうりだすであろうというようなことは打ち明けるのをはばかられた。私の言わなければならないことすべてがたいへんおもしろいらしく、おおかたの人の足より長く見える足をますます頻繁に動かして足踏みし、しだいにはやく頬をふくらませるようになって、私の話に割りこむその奇妙な息の突風は、繁殖期のウシガエルのゲッゲッゲッという鳴き声が聞こえてくるような錯覚をよびおこした。やがて私の話がおわると、彼は自分自身について語った。
「あなたはセシル殿と申され、ジェームズのご子息であり、デイヴィッドのお孫さまであり、レイモンドと申される方の末裔でもあるとおっしゃいますが、あなたの一族についてや姓については何もおしゃべりになりませんな。それはそうと、あなたはよい時にコーンウォールに来られた。あなたがこの城に到着したのはまったく期を得ておられる。お察しかもしれませんが、私はこの荒地の生まれではありません。今夜あなたが会うことになる私の友人も違います。フランス生まれのものが数名、ボヘミア生まれのものが数名、それにゴビ砂漠のタタール地方のかなたの土地から来たものも二、三名おります。しかし、私たちはみな、血と願望とそしてやがてあなたの知るところとなる大いなる野心とによって固く結ばれた兄弟なのです。されど、呪術にたけ、怪しくもおぞましい事どもの知識を持てる私たちではありますが、誰ひとりとして戦いに熟達しておらず、攻撃・防御いずれの武器も使いこなせないのです。これは決して勇気がないためではありません――おお、信じて下さい。勇気や大胆さがないためと言うよりは、ある肉体的欠陥のために、たいていの人の楽しみである戦闘という勇猛なわざに手を伸ばすことができないのです。そういうわけで、別の手段によって目的を達している

しだいでして。しかし今晩は、戦いが必要な際にお力を貸して下さる方を迎えているに相違ありません。そのような事態にならなければよいと思いますが、やはり戦いが必要かもしれません――そう、かならずや鋭利な剣を使うことになるでありましょう。あなたが短剣を使うことになれていらっしゃればなおさらよいかもしれません」
「おお、そのことならば」私はむりやり心を奮いたたせて答えた。「どちらでも必要なほうを使えます。個人的には、背にかついでいる両手使いの長剣が好きなのですが、もしそれほどの余地がなく、明かりも最良でないならば、たぶん短剣が絶好の武器でしょう。以前、巨人どもを殺したときには、剣のほうがよいとそのたびに感じましたね。どうしてもやつらの首をはねなければならない事態になりますし、もちろん短剣では手際がわるいですから。でも、カナリア島の洞窟で隻眼竜とこぜりあいを起こしたときには、けっこう短剣で楽しみましたよ。一撃でやつを盲にして、次の瞬間には切っ先が心臓をとらえていたというぐあいでした。御坊に観戦していただきたかったですな。もしご覧になられたならば、今夜おこるやもしれない緊急の事態に対処する私の腕前を、じゅうぶん信頼していただけたに違いないのですが」

 修道僧は微笑した。「あなたが好きですよ。誓って、あなたが好きです。私は〈同胞〉のひとりとなってくれるようお願いしたくなるほど、あなたに引かれました。それはあとにすることにして、話の要点に触れましょう。私たちは今晩、私たちの最大にして最強の敵のひとりの打倒を目撃するため、ここに集まっているのです。数世紀というもの、こやつは私たちを出し抜き、悩みの種となってきました。この悪鬼の奸計にかかって命を落とした〈同胞〉はひとりふたりではありません。しかし、ついに私たちはやつの裏をかきました。そして今晩、きゃつめを屠(ほふ)るのです。とうぜんのことながら、やつが死ねば、やつの力は私たちのものとなり、この新たなる力が加わることによって〈同胞〉が高める名声のほどは限りないものとなるのです。私たちはやつを殺す。幾世紀というもの、やつは自分の不死性と偉大さと攻撃を受けつけぬ強さを自慢していましたが、今晩私たちはやつを殺すのです。
 言いあやまった。私たちが殺すのではない。が殺すのだ! それが嬉しくてならぬ。私たちはみな強い力をもっている。しかし、私は〈同胞〉のほかのものよりもほんのわずかに強いのです。そうしたわけで、私がこの敵を殺すことになっている。それをなしとげた暁には、私が地上の人間すべてと、そしておそらくは他の星々の人間までも支配することになるでしょう。私たちが住んでいるこの星以外の星々を征するために宇宙へ出ていくのが、私の望みなのです。
 私は今晩やつを殺します。その男は玻璃の壜に封じこめてあります。ぺてんにかけてそのなかに入らせたんでしてね。いったんそのなかへ入るとやつは新しい体形をとりまして――あんな形をとるなんて愉快なことじゃありませんな。それが私に力と栄光とを与えてくれました――果てしなき世界が――違う、違う、違う! そんなことを言おうとしたのではない――まだ、これではだめだ! まだ神にいどむほどじゅうぶんには強くない」彼の声は沈んで哀れっぼい調子になった。「まだだめだ。しかし、おそらく二、三時間すれば、死んだ悪鬼の力を私の力に加えたあとならば……。
 壜に入ったこの邪悪なやつは毒でも鋼でも火でも水でも、息をできなくしても、殺せません。やつを屠るにたるほど強力な武器はないのです。しかし今晩やつは死にます。なぜなら、やつは玻璃の壜の内におり、私は外側にいるのです。そして、玻璃を通して私が殺すことができないような体形をやつは意のままにとるのですから。おわかりになりますかな? 玻璃は透明です。やつは私を見なくてはならない。私はやつを見る。そしてその一瞥にやつの死が仕込まれているのです。じきにやつは縮み、しだいしだいに小さくなる。すこしずつ形をなくして、しまいには壜の底で、数滴の粘液とぐんにゃりした骨のいびつな塊になってしまうという寸法です。この壜にはたいへん巧妙に作られた玻璃の栓がしてあります。栓のうつろになった中心部には、神に身をささげた人々の骨の灰と、聖母マリアの目から落ちた涙と、拷問にかけられた聖者の額の汗を一滴いれてあります。これら過去の神聖なる遺物は悪鬼の魂をとりこにしておくことでしょう。やつが粘液になってしまったら、栓をはずしてやつの魂を吸いこんでしまうのです。もはや宿るべき肉体をもたない魂は、私の内に住みつくのを喜ぶことでしょう。このようにして私は強さを――かつて冥府を支配した〈偉大なるもの〉の力と栄光とを持つのです。みごとでございましょう」
「まったくおっしゃる通りで」と私は答えた。声は軽快だったが、みぞおちのあたりがむかついていた。「しかし、なぜこの芝居に私を一枚かませるのですか。剣や短剣ではこの悪魔に刃がたたないとあなたは申されましたが」
「あなたは私を守るのです、お若い方。たいへん勇敢で、望み多く、死ぬまえにひとかどの人物になろうと欲しておられるあなたを、運命の手がまったく適切な時にここへ導いたのです――助けが必要な際に私を守るために。私の立場がおわかりになりませんかな。その場で私は壜の口に自分の口を押しあて、私を古今未曾有の大人物にしてくれる魂を吸いこもうと身構えている。まさに私が吸いこもうとする刹那、〈同胞〉のひとりが――とりわけ怪しいのはゴビから来た男ですが――そいつが短剣を私の心臓に突き刺し、この偉大な力を吸いこむ私の立場を奪ってしまうとしたらどうでしょう。なんと恐ろしい! 一大帝国を夢見る私にとって、なんと悲しい最期でしょう! 私はこれを企て、すべてお膳立てし、今なしとげたのです。最後になってなぜ〈力もてるものども〉の帝王となる権利を放棄させられねばならないのでしょう。たかがシナの短剣が私の心臓に突き立てられたくらいで。きっとあなたが私を守ってくれるでしょう。
 おお、約束して下さい。私の背後にいて、〈同胞〉のものが誰も不穏なふるまいをせぬよう見張っていて下さいますな。それを約束していただけますか。返礼にきっとあなたが報いられるようにしましょう。何をもっともお望みですか。黄金? 権力? 美女の愛? あなたの目を見せて下さい。おお、すばらしい! あなたは私の真の同胞ですな。拝見したところあなたの望んでおられるのは、たくさんの書物や古い写本や奇妙な皮紙文書などの蔵書が山ほどつまった暖かい部屋なのですから。これらすべてをさしあげましょう。そうして危険にさらされているとき助けてくれる方に私が報いることを証明しましょう。もしお礼としてこの書庫に『エレファンティス』の写本を加えたとしたら、何とおっしゃるかな。この本はことごとくネロが焚書に処したと考えている者もいますが、私は写本が一冊ある場所を知っている。もしこれをすべてさしあげたら、私を守って下さいますか」
「よろしいですとも」夢中で私は答えた。頭のなかでは、暖かい火のまえに坐って本物の哲学者然とした格好で『エレファンティス』を楽しんでいる自分を思い描いていた。もちろん書庫よりほしいものがたくさんあったが、いま野心を明かすのは賢明でないと思った。それほどこの修道僧のことを知っているわけではないし、けっきょくのところ、軽率に打ち明け話をするようなまねは控えるに越したことはない。
 修道僧は喜んでいるようだつた。フランス流に私の両頬に口づけさせてくれと言って聞かなかった。
 この際、言っておきたい。私は短い半生のうちに蛮勇を振ってさまざまの冒険をしてきた。たとえば独力で〈ファーゴンズの黄蟻〉(身の丈八フィートで猛毒をもつ)を討ち取ったり、臆せず〈西海の謎の女怪〉に立ち向かったりした。それでも生涯でもっとも勇気のいる瞬間は、修道僧がしたヒキガエルの口づけに耐えて叫び声をあげないでいる時だった。叫びたかったのだ――おお、どんなにかわめきたてて耳をそばだてるフクロウとサソリに恐怖をうったえたかったことか! しかし、もちろんのことそんなふるまいはコーンウォールの未来の君主にあるまじきことであろう。それで私は微笑し、彼に誓言してから『エレファンティス』の写本を決して忘れないで下さいと言い、夕べの仕事が始まるまえの元気づけにブドウ酒をもうすこし戴けますかと頼んだ。

 そののち――私には待つ間は永遠であったが、おそらく実際にはほんの一時間かそこいらだろう――私たちは城の下層の一室に会した。あかりが部屋を照らしだしていたが、光源がどこにあるのかということがまた一つ気がかりの種になった。一方の壁の近くに床几(スツール)が一脚、中央に低い卓が一つ、卓の上には高い円筒状のものが四角い天鵞絨(ビロード)のつづれ織りでおおわれていた。修道僧が床几に坐ると、私はそのうしろに立って気に入りの短剣の柄をまさぐった。柄は女の似姿に刻まれており、彼女の裸体の下にあってきらめいている刃は、これまであまたの勇者や怪物に口づけして死に至らしめた。
 そして壁の割れ目から――そう、たぶん床の亀裂からだろうか、ともかく熱に浮かされた私の頭にはそう見えた――〈同胞〉たちがわきあがり、卓のまわりに半円形に集まった。彼らの顔は修道僧に似てヒキガエルのようだつた。そこに彼らが立っと、私は自分の膝に「ヒューベレア家の名誉を思い起こせ!」と叱咤し、顎に「静かにしろ。祖父デイヴィッドの勇ましさを思い出すのだ!」とささやいたが、この訓戒にもかかわらず膝と顎ががくがく震えたのにはすくなからずあわてた。
 修道僧がグエッグエッと声を発すると、それに応えてまわりに立っている男たちがグエッグエッと低く合唱した。かれらの顔をのぞきこんだ私は、ゆらめく淡いあかりをたよりにして、まぎれようもなく最初に修道僧の顔を見たとき私をいたく驚かせたのと同じヒ

キガエルそっくりの容貌を目にした。私が驚きをすっかり隠しきれるまえに、修道僧が壁龕(へきがん)から聖杯を取りあげて、いささか無作法に驚きを隠しおわったときには、それを両手でささえており、〈同胞〉のひとりひとりに杯から飲ませていた。その飲み物が何であるか、そのときは想像することしかできなかったが、あとになって悪魔崇拝を深く研究してみるとその晩自分が間一髪のところであったことにしばしば肌が粟立った。幸いにも私は杯を飲みほす仲間入りをさせられずにすんだ。
 床几に腰をおろしている修道僧は、高く円柱形をしたもののおおいを取るよう私に命じた。言われた通りにすると、大きな玻璃の壜があらわれた。その底には巨大なヒキガエルがうずくまっている。玻璃はみごとなほど澄んでいたので何の苦もなくヒキガエルの各部が見られた――とりわけ顔と目が。ヒキガエルは修道僧に面と向かった。両者の目が――悪魔ガエルの目と人間ガエルの目とが――残忍な光をおびてにらみあう。異質な思考と衝突する野望と敵対する人格とによって幾千年も隔てられた両者のあいだで、私の知るかぎり地球上はおろかいかなる他の惑星でもめったに行なわれることのないような魂の熾烈な闘争が戦わされた。もちろん私が他の惑星に関して――その事柄について言うならこの惑星に関しても――熟知しているわけでないことは認めるが。
 両者は見据えあって、たがいに優位を競い相手方を亡きものにせんとつとめた。私には修道僧の目を見ることはできなかったが、とらわれたヒキガエルの目が確たる自信に満ちあふれているのは見ることができた。修道僧は相手の目に私が見たものを見たのか?
 見たに違いない! 彼は逃げようとしたのだから。三度、立ちあがって逃げようとつとめたが、そのたびに床几に引きもどされ、顔と目は澄んだ玻璃壁ごしに嘲笑的な視線を投げかけている両眼に吸い寄せられた。そして一声低いうめきをあげると哀れな男は静かに前方に倒れ、まさに私の目のまえで融けはじめた。最初ジェリー状になり、やがて邪悪でおぞましい粘液と化して床をつたったが、一部はかつてルソー修道僧であったものの衣服に吸い取られてこびりついた。
 彼が死ぬと壜のなかのヒキガエルは大きさを増し、人間の形をとった。男は壜のなかでゆっくり(くびす)を巡らして、回りながら〈同胞〉をひとりひとりねめつけた。視線を受けた者たちは動くことができずにじっと立ちつくし、おのおのの顔を無気味な絶望の仮面がおおった。ついで壜のなかの男は私を見た。さあ、望むものをすべて見るがいい! 私は十字架をにぎりしめていた。栓の力が彼を透明な牢獄に封じこめていることはわかっている。もし彼の視線がひどく強烈になったら、私は目を閉じることができない。すくなくともできないと思った。
 しかしその目は私を傷つけようとはしなかった。優しく穏やかに見受けられた。すると男は両腕を宙に三たび差しあげ、唇で明瞭な魔術的動きを三つした。興味をひかれ呆気にとられた私は、以前アラビアで獅子――〈ユダの館の獅子〉の手によって墓穴から引きあげられたとき学んだその援助の懇願を思い起こした。何のつもりでこの合図を私に送ったのだろうか。たまたま符合したにすぎないのか? 偶然の一致なのか? さもなければ彼はほんとうに私の仲間なのか?
 もちろん彼の望んでいることはわかっていた。だから栓を引きぬいた。
 彼は壜の首を通りぬけて床に飛びおりた。黒い天鵞絨をまとった小柄な男で、髪はてかてか光っており、唇に浮かべたとても愛嬌のあるほほえみは、なぜか私の心をあたため懸念をぬぐいさった。
 彼は私には注意をとめず、ゆっくりヒキガエル面の〈同胞〉たちのまえを通った。男が通ると彼らは苦しさのあまりうめき声をあげ、顔を男のまえに伏せてその足に口づけしようとした。私が彼の足を見るきっかけとなったのは、この崇拝の動作だった。まったく驚くベきことに、私が見たその足には山羊のような蹄と毛があったのだ。
 ついに彼は〈同胞〉全員のまえを通りすぎ、ふりむいて合図をした。その結果、あらゆる点で修道僧の場合とまったく同じ最期がおとずれた。彼らもまたねばねばした無用の存在と化して床に溜まり、衣服とそこからにじみ出たヒキガエルの分泌液だけが残った。それから彼は、私が倒れないよう壁によりかかって立っているところに来て、陽気に言った。「さて、わが朋友セシル君は、今宵をいかがお過ごしかな」
「とても楽しかったです」私は答えた。「次から次と余興があってね。実際さまざまな意味で私にはためになりました」
「若者よ」と彼は優しく言い、私の肩をつかんだ。その手には人間同士の温かみがあった。「きみはその壜から私を解き放つにあたってすばらしい眼識を見せてくれた。もちろん私には壜をこわすこともできたが、きみの顔には何か私を喜ばせるものがあったので、ためしてみたかったのだ。きみも東洋に、アラビアに行ったことがあるとわかった。だから私が助けを求めたとき、それを与えてくれた。このヒキガエル人間のやからどもは何年も私を悩まし続けてきたのだ。私はこやつらを亡きものにしようと腐心してきた。私の目的に損傷を与えたからだ。だが今夜までそれは控えた。そして、やつらの裏をかくことによって連中を一堂に集めることができたのだ。まだひとり残っているが、そいつは私を困らせるとは思えない。修道僧がびっくりしたことは請けあいだ。彼は実験してみて本物のヒキガエルを何匹となく殺したのだ。だが、もちろんのこと私はヒキガエルではない。当座その外見をとったにすぎない。さて、それもすんだことであるし、もっと好ましく楽しい仕事にもどることができる。しかし、きみはじっさい私を出してくれたのだし、おそらく栓の魔法は私が考えていたより強かったのだろう。そこで三つの願いを叶えてあげよう――何でも好きなものを望みなさい」
 私の心臓は口から飛び出しそうだったが、それでも堂々と喋った。
「力をください――あらゆる巨人・盗賊・ならず者・火蜥蜴(ひとかげ)・人食い鬼・蛇・竜と、雌雄をとわず陸海空に棲むあらゆる邪悪な生き物とを征する力をください――いついかなるときやつらと戦うことになっても勝てるような」
「それはたいへんな力だ。しかし叶えてさしあげよう」
「それから、この城に書庫がほしい――とてもりっぱなやつを。かなり昔、ひとりの女性が『エレファンティス』という本を著わしました。書庫にその本が入っていればよいのですが」
 男は笑った。「修道僧がきみにその本のことを言っているのを聞いた。ご存じかな。私はその本を書いた女性ととても親しかったのですよ。実際、その本に述べられている事実のうちいくらかは私が彼女の頭に吹きこんだのだから。よろしい、書庫とその本をさしあげよう。俗界の権力はほしくないのかね」
「ほしいです。私たちがいるこの城は、いくぶん荒れていますが、かつては私の一族ヒューベレア家の居城だったのです。これを修復させて往時のように壮大にし、コーンウォールの君主として住みつきたいのですが」
「それを整えるのは簡単なことだ。朝飯前さ」彼はそう言うと握っていた手を開いた。掌には黒い絹紐がついた黄金の鍵があった。それを私の首にかけると言った。「これはきみの権力を示す品だ。いつもそこに刻まれている言葉を思いだすのだぞ。

   黄金の鍵を持てるものたちは
   コーンウォールの君主となる


 もし君主でいたいならば、しっかりこれを守るのだ。さてほんとうに私は行かねばならない。すえながくしあわせに暮らされることを祈る」言いおわるや彼は消えうせ、フクロウの鳴き声だけが聞こえた。
 まわりじゅうで石材としっくいに囲まれた新しい活気が渦まいていた。長い広間をいくつも、ゆっくりした足どりで通った。何世紀も積もった埃はもうあとかたもない。やがて宴の間に着いた。そこでは兵士たちが私の命令を待ち、ちいさな小姓たちが私の所望を聞きにかけよってくる。
 夢見ているかのようにゆっくり歩いて螺旋階段をのぼり、いちばん上の塔にあがった。そこで、立ちつくして城の安全を見守っているひとりのたくましい戦土に出くわした。星々がきらめき満月がかかった美しい夜だった。はるか下方のうねった道路から聞こえてくるのはトランペットの高らかな響きと、固い土を打つ馬蹄の快活な音楽と、馬の一歩ごとに剣が鎧にあたって鳴りひびく音。ときおり、おおぜいの男たちの騒がしい声にまじって女たちのよく通る笑い声が聞こえてくる。
「城に向かって進んでくるこの行列は何なのだね」私は声荒く戦士にたずねた。
「これはコーンウォールのお偉方たちです。ご婦人や騎士や全兵士も一緒です。コーンウォールにあなたさまを迎え、つつしんで君主として承認するために、夜を徹してやって来たのですよ」と彼は答え、ほほえんだ。
「そうあるべきだ」と私は言った。「彼らの到来にそなえて準備万端ととのえるよう命じてこい。それから、一行が着いたら貴族たちに私のもとへ来るよう伝えるのだ。私は書庫にいるだろう」

【初出】ミステリ・マガジン(1972/5)

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