短調の歌 Song in a Minor Key

C・L・ムーア  
さとう@Babelkund訳 

 クローバーにおおわれた丘の斜面は日差しを受け、からだの下で暖かかった。ノースウェスト・スミスは両肩を大地に押しつけて身じろぎすると目をとじ、深く息をついた。銃を胸に吊っているホルスターの革紐が張りつめ、陽を受けて暖かい地球とクローバーのかおりが肺に流れこんだ。ここは丘の窪地。ヤナギの木蔭。クローバーと地球の膝とに枕したかれは、吐息がもれるにまかせ、恋人を愛撫するかのように手のひらで草地をなでた。
 この時をどんなに長いこと――どれほどの年月を重ねて、異境の地で待ちつづけたことだろうか。今はそのことを考えないようにした。思い出したくはなかった。暗い宇宙航路も、火星乾地の赤い火山岩も、自分を追放した地球を夢見つつすごした金星での真珠色の日々も。こうして横になり、目をとじ、陽の光をいっぱいに浴び、耳にするものといえば草地を吹きわたるそよ風の音と近くを飛びまわる虫の羽音だけだと――荒々しく血なまぐさい、過ぎし年月は存在しなかったかのようだ。胸とクローバーの大地とに押さえつけられてあばら骨にくいこんでいる銃さえなければ、少年にもどったかのようだ。何年も何年も前の、はじめて法を犯したり、はじめて人殺しをしたりするずっと以前の昔に。
 いま生きている者で、その少年がだれだったかを知るものはいない。あらゆることを知っている宇宙警察でさえ。長い波乱の年月、ずっと無ニの親友であった金星人ヤロールでさえも。だれひとり知るものはないだろう――今となっては。かれの名も(つねにスミスであったわけではない)、かれの生まれ故郷も、かれを育んだ家も、ここにいたる裏街道を歩ませることになった最初の非行も――それが、かれにふたたび足跡をしるすことを禁じた地球の、この丘のあいだのクローバーの窪地にいたる、曲がりくねった道のはじまりだった。
 頭のうしろで組んだ手を離し、寝がえりをうって傷跡のある頬を片腕にのせると、ひとりほほえんだ。そら、からだの下に地球がある。もはや異境の空に輝く緑の星などではなく、暖かい土と新しいクローバーだ。小さな茎と三つ葉をそっくり見ることができるほど間近にあるし、その根元には小さな粒から成るしっとりとした大地がある。
 一匹のアリが触角をゆらしながら頬のそばを走りすぎた。目をとじ、もう一度深く息をつく。目をあけていなくてもすばらしい。けもののようにここに横たわり、陽光と地球の感触とを、何も見ず、黙って吸いこむだけですばらしい。
 もうかれは傷跡のある宇宙の無法者ノースウェスト・スミスではない。今や、人生のすべてが前にひらけている少年にもどった。丘のむこうには白い円柱の家があるだろう。陰になったポーチ、そよ風にゆれる白いカーテン、室内のあまくやさしい声。流れる蜂蜜のような髪の少女がいるだろう。戸口の奥でためらい、かれに目をあげる。目には涙。かれはじっと横たわって、回想にふけった。
 不思議と、すべてのことが鮮明によみがえってきた。その家はニ十年近くまえに灰となってしまったにもかかわらず。そして少女は――少女は……。
 かれは乱暴に寝がえりをうつと、目をあけた。彼女のことは思いだしてもしようがない。しょっぱなから、その致命的な傷をかれは負っていたのだ。今のかれにはわかっていた。今日かれが知っていることをすべて知った上で少年にもどったとしても、傷は依然としてそこにあるだろうし、おそかれはやかれ、二十年前に起こったのと同じことが起こるにちがいない。かれは激動の時代に生まれたのだ。男は自分の欲するものを手に入れ、法など踏みにじって自分の守りうるものを守りぬく、そういう時代に。服従はかれのさがになく、それゆえに――
 過ぎさりしの日そのままになまなましく、二十年昔と同じ怒りと絶望が胸もとにこみあげ、光線銃が慣れない手のうちではげしくはねるのを感じ、憎むべき顔に必殺の一撃が食いこむ音を聞いた。自分が最初に殺したその男には、今でも哀れみを覚えることはなかった。しかし、その殺人の煙りのなかで、白い円柱の家とかれがたどったかもしれない未来と、少年自身とはついえさった――失われたアトランティスのごとく。そして、蜂蜜色の髪の少女やそのほか多くのことどももまた。それが起こらねばならぬことであったと、かれにはわかっていた。かれのような少年であったならば、それは起こらねばならなかった。たとえもとにもどることができ、すべてやりなおしがきいたとしても、物語は同じようになっただろう。
 そして、どのみち今となっては遠い昔のことなのだ。もはや思いだす者はだれひとりいない。かれ以外には。ここに横になってこれ以上そのことを考えるなんて馬鹿なやつのすることだろう。
 スミスはうなるような声を出して起きあがると、肩をすくめて肋にあたる銃の位置をなおした。

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