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【パソコン事始め】 はじめて作った実用プログラム(1980年)

【あのころ】
まだパーソナルコンピュータ(パソコン)がマイクロコンピュータ(マイコン)と呼ばれていたころです。勤務していた化粧品研究所でマイコンに出会いまし た。入社8年目の昭和55年だったと思います。研究所で初めて、分析部門がデータ処理のために導入したNECのPC-8001を触らせてもらい、これは業 務でデータベースを構築するのに役立つと直感しました。そのころのパソコンの能力はというと、CPUは8ビット、本体メモリは32KB(MBではありませ ん)、外部メモリはカセットテープ、使える文字は半角の英数字・カタカナだけ。プログラムやデータを読み込むのにえらく時間を食いました。ワープロもまだ ない時代で、書類は手書きで、ファイリングの媒体は紙のみ。もちろん表計算ソフトなどは未来の話で、計算は電卓のみ。そんな中でファイルの検索や原価計算で けっこう時間をとられていたので、これは使えると思いました。職場の上司からは白い目で見られながら、新製品開発業務の合間にプログラミング(N- BASIC)を習得し、データベースについて勉強しました。バイナリーサーチ(二分検索法)を覚えたのもこのころ。やがて、外部メモリとして5インチ のフロッピーディスクドライブが発売され、OS、プログラム、データの読み込みはずっと楽になりました。試行錯誤の末に、やっと業務に使えるプログラムが 完成し、それを研究所の研究発表討論会(1980/10/09)で発表しました。そのときの発表要旨が以下のものです。

PC-8001



【それから】
発表は「研究」として扱ってもらえず、「技術紹介」とされました。この重要性・効率性を理解できた人はあまりいなかったようで、その後の設備投資申請でも、各研究室1台の申請に対して、各フロアで1台(計4台)にま で削られてしまいました。わたしのほうは研究者としての資質を疑問視されたのか(※)、この1年後に銀座の本社に飛ばされますが、今度はここで本社と研究 所をワープロでオンラインでつなぎ、厚生省申請書を効率的に作成するシステムを導入することになります(パソコンでは、漢字が第二水準まで使えて、オンラ インで送信できるものは市販されていませんでした)。当時は、研究所で手書きで作成した申請書を本社に出張する者に託送し、本社のタイプ室で2回打って(1回のタイプで作成できるカーボンコピーが3部なので)、 学術部門がタイプミスのチェックをしていたのです。その後も、企画室に移って化粧品の市場規模予測や新規事業の採算性検討にパソコンを活用するのですが、それはまた別の話。
※)研究所在籍中に開発した男性化粧品〈バルカン〉のヘアートニック、ヘアーリクイド、クリームヘアーステェイは約40年たったいまも店頭で販売されていますが。

むかしむかしのお話しでした。